第19回 長崎開港430年
長崎開港430年
▲南蛮の小鉢(越中文庫)
長崎の開港は元亀(1571)の初夏である。最初に長崎に入港してきたポルトガル船の船長はTristao Vas de Vesigaといった。
当時の長崎の町は、港の中につき出ていた岬の上に新しく建てられた教会(サン・パウロ)と其の前に開かれた6町があった。そして其の町の住人は全て他国より移住してきた信者の人達で1,000人前後はいたようである。
以来、毎年のようにポルトガル船が定期的に入港したので、他国の商人達が集まってきた。
そして其の町の発展には目をみはらせるものがあった。
協会の神父さん達は全てポルトガル、スペインの人達であり、ポルトガル船の人達も自由に町中を歩き、町の人達もすべてが信者であったので毎日曜ごとの教会のミサには、いつも信者で溢れ、ラテン語の賛美歌が遠くまで響いていたそうである。
前号で私は、其の当時長崎の町でつくられたパンや輸入されてきた砂糖の事について記したので今回はその他の南蛮料理について考えてみることにした。
1.平戸の南蛮料理
長崎の南蛮料理のルーツは平戸の町にあり。平戸城の中にも南蛮料理を作る料理人がいた。
▲スープを飲む南蛮人(越中文庫)
長崎の南蛮料理のルーツを訪ねてゆくと、其処には長崎の開港よりも半世紀前(1520年)に既にポルトガル船の入港があり、以来南蛮貿易の街として栄えていた平戸の町がうかんでくる。
そして平戸の町にも教会が建てられ信者の人達も多くいたのであるが、平戸は長崎の町とは違い古い城下町であり寺院や神官、山伏などの力も強かったので、事あるごとにキリシタンの人達と争っていた。然し当時の平戸の町は南蛮貿易の町として賑わっていたのである。1560年頃、平戸の町の様子をフェルナンデス神父は次のようにローマに書き送っている。
平戸の人達は何でも食べるのですが、お坊さん達は牛肉を食べない。
この地にはポルトガルと同じ食料がありますが其の量は少ないのです。
平戸の人達の中には労働をしない人がいて其の人達は飢餓(貧乏)です。
又この地方は寒いのです。
これによっても平戸では既に牛肉豚肉が食べられていたことがわかる。現在も平戸の土産に「カスドス」という菓子がある。
このカスドスの語源はカステラ・ドスというポルトガル語と考えている。
カステラは我が国では一般にポルトガルの菓子(Pao-dose)であり、ドスはdose(甘い)でるので、甘いカステラの意味である。
現在のカステラは非常に甘いが初期のカステラは甘味が少なかったので蜂蜜をつけたと記してある。その故に平戸のカスドスには今も蜂蜜が加えられているそうである。
平戸には、この他にも南蛮料理の話がある。
1621年スピノラ神父の手紙の中に「自分が平戸のお城に呼ばれた時、殿様からポルトガル式の肉の振舞いがありました」。
又他の同神父の他の手紙には「城から帰ったとき夕食に冷たいけれども肉のパイ及びパンと鶏肉が運ばれ、平戸の殿よりポルトガルと日本の良い酒が贈られた」と記してあった。
オランダ商館も1641年長崎出島に移される以前は平戸にあったので、オランダ人も最初は平戸に住んでいた。当時平戸オランダ商館日誌を読むと之にもヨーロッパ風料理が平戸の町で作られていたことや、当時の平戸の殿様は「鶏のむし焼き」が好物であったと記してある。そして平戸城の中には此のような南蛮料理を作ることのできる料理人がいたのである。
2.長崎南蛮料理のルーツ
長崎の南蛮料理は1571年の開港と共に始まる。
▲江戸時代長崎港図
(純心大学博物館蔵)
長崎の南蛮料理のルーツは、前述したように長崎より約半世紀も前に開港した平戸の人達によって伝えられたと考えている。
一体、半世紀近くも親しんだ平戸の町を離れてポルトガルの人達は何故長崎の港に来たのであろうか。
そこには平戸の領土松浦隆信と大村領主大村純忠との勢力争いが第一の理由である。ポルトガルの史料によると、「松浦氏の一部の人達の中にポルトガル商人団に好意を持たない者がいる。次にキリスト教徒に不親切な人達がいるので、吾等に厚意を示している大村氏の領内の港に貿易港を移す」と記している。
ポルトガル船は大村純忠と必要な協定を結び1561年7月には大村領内横瀬浦(現・裁西海町内)に入港、貿易を開始している。純忠は翌1562年6月、26名の家臣と共にキリスト教に転宗、霊名をドン・パルトロメと称した。じつに素早い行動である。
之に対して反純忠派は同年11月末、横瀬浦を焼き払っている。
1565年純忠は再起して長崎港外福田の港を開きポルトガル船を迎えている。
神父達は1567年福田の隣り長崎村に布教を開始している。そして其処にすばらしい港を発見し1570年港を測量し、大村純忠の協力もあって1571年長崎開港となった。この時平戸の信者達は大勢移住し平戸町を作っている。ここに南蛮料理のルーツが開かれたのである。
第19回 長崎開港430年 おわり
※長崎開港物語は、越中哲也氏よりみろくや通信販売カタログ『味彩』に寄稿されたものです。