第500号【人々と風土のたまもの】

 庭に植えられたザクロの花が咲きはじめた6月1日は、秋の大祭「長崎くんち」の稽古始めの日とされる「小屋入り」。今年の踊町である六カ町(上町・筑後町・元船町・今籠町・鍛冶屋町・油屋町)は、午前中に諏訪神社と八坂神社にお参りを済ませ、午後からは「打ち込み」(くんち関係先への挨拶)に廻りました。紋付の黒い羽織に唐人パッチ(ステテコ)姿の役員さんたち、担ぎ手や演者、そしてシャギリ(囃子)の人たちがまちを練り歩く姿は颯爽として、本番(10789日)への期待感が高まりました。



 



 賑やかな小屋入りの行列が通り過ぎた街角で、静かに咲いていたのが中南米原産の「トケイソウ」です。花のつくりが時計の文字盤に見えたのがこの和名の由来です。一方、英名は「passion flower」(パッション・フラワー)で、「キリストの受難の花」を意味するとか。16世紀、中南米に派遣されたイエズス会の宣教師が、この花の個性的な姿が十字架やイバラの冠などキリストの受難を象徴するものに見えたことから、そういう意味を持つラテン語の名前で呼び、のちに英語に訳されてパッション・フラワーになったそうです。



 

 宣教師たちによって布教活動にも利用されたというパッション・フラワー。この花が日本へ渡来したのは享保年間(17161736)だといわれています。当時の日本は鎖国下にあり、キリスト教は禁止の時代です。こんな曰く付きの花が一体どのようなルートで日本へやって来たのでしょうか。トケイソウは、ちょっと不思議なその容姿も相まって、いろいろな物語を想像させる花であります。

 

 眼鏡橋がかかる中島川のそばに咲いていたトケイソウ。川面に目をやると、アオサギが獲物の小魚をじっと待つ姿がありました。中島川では、これまで数種類のサギを見かけましたが、毎年春になると新しい顔ぶれに変わるよう。現在、常連で見られるのは2羽のアオサギのみ。ここ数年、どこかペンギン似のゴイサギの姿はなく、半年前に見かけたシラサギもいません。サギ類は、各地に生息していて田んぼやあぜ道に限らず、まちなかを流れる川などでも見かけます。あなたのまちのサギはどんな様子でしょうか。



 

 6月4日、九州地方は梅雨入り。タイサンボクの大きな白い花や、南天の小花がそぼ降る雨にぬれています。めぐる季節のなかで、港に出て海上から長崎のまちを見渡せば、恵まれているばかりとは言えない風土のなかで、長い寒村の時代を経て、16世紀からは商人のまちとして栄え、伝統の祭りやカステラ、ちゃんぽんなどのおいしい名物を生み、さらには平和の尊さを伝え継ぐまちとなった怒涛の歩みに感慨のようなものがこみあげてきます。



 

 どの時代にも言えるのは、長崎はつねに近隣の地域や日本各地、さらには世界各国の人々とのさまざまな関わりやつながりに支えられてきたということ。人知れず大海原を越え長崎港を渡る潮風は、何にも記されることのない星の数ほどの人々の営みの先に私たちがいて、未来の人たちがいることを教えてくれるのでした。



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