第15回 長崎オランダ年によせて
1.今年は長崎オランダ年という
400年前、我が国初のオランダ船は、豊後国(大分県)に到着。
▲ギリシャ色絵鉢
編集子より今年は「長崎オランダ年」という行事があるので、今回はそれにそった長崎料理物語にして戴きたいとの依頼があった。
今年は日蘭交流400年の年であるので長崎県市では「長崎オランダ年」と銘打った各種記念行事を行うという。
然し、400年前すなわち1600年の初夏オランダの貿易船が我が国に初めて到着したのは豊後国(大分県)の海岸であったと記してある。
そして、その後1609年オランダ船は平戸に入港、更に長崎の港に初めてオランダ船が入港したのは1641年6月25日早朝でカピタン(オランダ商館長)は早速出島に上陸したと記してある。
それ以来オランダ船は、1859年に至るまで我が国では唯一長崎港にのみ入港することが許可されていたので、其の間は全てヨーロッパの近代文化は長崎の港を経由して我が国に渡来してきたのである。
長崎でのオランダ人は出島オランダ屋敷にのみ居住することが許され、許可なく出島外に出る事は堅く禁じられていた。
2.出島内でのオランダ人の生活
生活様式は全てヨーロッパ式、年に一度は「オランダ正月」を催す。
▲長崎板画・阿蘭陀人卓子図(長崎市立博物館所蔵)
オランダ人の出島内での生活は全てヨーロッパ式である事は幕府は認めていたが、オランダ人女性の渡航は禁じた。
然し、そのかわりに丸山遊女の出島出入りを認めることにした。
出島内の朝夕の食事は勿論洋食であり主食はパンで、牛肉やバターが食べられ、コーヒーやビール、葡萄酒も飲まれていた。
そして年に一度、出島関係の人達が出島オランダ商館より招待をうけごちそうになっていた。これを長崎の人達は「オランダ正月」といった。
なぜ、長崎の人達はこの日を「オランダ正月」といったのであろうか。
それは其の招待日が、我が国での暦は当時東洋的旧暦であったが、出島内では西暦がつかわれ其の1月1日に招待をうけていたからである。
長崎名勝図絵(1800年頃編纂)にこの日の事について次のように記している。
オランダ正月とて出島館中に年々定まる祝日あり。冬至の後十二日に当たる日なり。此日館中盛饌あり・・・
オランダ人の食事は、箸を用いず三又鑚(ホコ)快刀子(ナイフ)銀匙(さじ)の三器を用う。
ホコは三股にして先は尖りて長く象牙の柄をつく、以之、器中の肉を刺し、ナイフを取りて切さき、之をサジにすくい食す。
又上器三器と共に白金巾(白布)を中皿に入れて人毎に各一枚を卓の上にだしておく。白金巾は食事のときに膝の上におほひ置く也。
同書にはこれに続いて料理の献立が記してある。私はその出島オランダ料理全般について、本紙「長崎料理ここに始まる」-其の2おらんだ料理編より其の5までの間に記したので、この方面に興味をもたれる方はご参考にして戴ければ幸甚である。
3.史跡地出島の発掘成果と食文化
発掘された資料を基に、出島食文化を新しい視点で研究。
▲現川焼茶碗(長崎純心大学・清島文庫)
戦後・国指定史跡出島約12,000平米の発掘調査は進み着々として大なる成果をあげている。その中でも食文化に関する新研究は注目を集めている。
長崎県史編纂委員であられた箭内健次先生が中心になられて、平成5年3月親和銀行文庫第17号として「長崎出島の食文化」が発刊されている。
この本には新しく発掘された資料を中心に出島食文化の実態を新しい視点から調査され良く編集されており、我が国の西洋料理を知る上には拙著の「長崎の西洋料理」(昭57、第1法規社刊)と共に一読しておかれることをお勧めする。
私は同書の中で特に興味を引かれたものの一つに片桐一男先生執筆の「鷹見泉石とオランダ料理」の中で江戸における「和蘭の会」の人達の活躍であった。
「和蘭の会」の中でも、特に私は出島カピタン・H・ヅーフよりオランダ語の名前をつけてもらうほどオランダ狂とよばれた江戸の菓子商伊勢屋七左衛門兵助の伝記に興味をひかれた。
彼のオランダ名はFrederik van Gulpenと記してある。
「和蘭の会」では会食があった記事は読まれるが、その時の料理、飲み物、その時の食器が如何なるものであったかと言うことについては記録がないようである。
ただ菓子類についてはパンとカステラが作られていたことは記録の中よりわかる。そこで、パン・カステラを作るとなれば、其の製造には当然のこととして引釜(オーブン)を必要とする。
また引釜を用意したとなると、オーブンを使用する料理もつくられていたと考えている。
私はこの、つくられたであろう料理について前回にもご指導をうけた千葉大学教授の料理研究家松下幸子先生より先年送って戴いた東北大学狩野文庫所蔵の「阿蘭陀料理献立」と「オランダ料理煮法」を参考書として取り上げてみることにした。
松下先生の但書によると「両書共に幕末のものではないかと東北大の書誌に詳しい人のお話でした」と記してあった。
(以下次号)
第15回 長崎オランダ年によせて おわり
※長崎開港物語は、越中哲也氏よりみろくや通信販売カタログ『味彩』に寄稿されたものです。