第13回 長崎料理編(四)
1.足立敬亭と長崎雑煮
新鮮なる鰤に盛り沢山の諸菜が基本。敬亭も好んだ長崎雑煮。
▲松本良順 養成法「飲食の事」
前号に引き続き敬亭のいう長崎料理を紹介することにした。敬亭は、「吾は新年に用うる長崎雑煮を好む」と記し、次のようにその料理法を説明している。
5人前の雑煮・先づ血切鯛150匁・または新鮮なる鰤の腮をとり腸を去り、胴骨と胴骨との間を3枚おろしの法にて背鰭の処まで包丁を入れ、次に頭部の中央に内部から脳を目がけて包丁を入れ。
次に・内部全体・外部全体に塩をふり、そのまま縄巻にして日陰に4・5昼夜つるして置く。
食するに臨みて入用だけ切とり、鱗を落とし皮ごと切目を作る。(塩を振る前に鱗を取るもよし。)或るいは魚を3枚におろし、又は切目にしたるものを摺り鉢に入れ薄塩して押蓋をし、軽く圧石をして3昼夜おくもよし。
右、150匁の魚を10に切り水で洗い、それより干椎茸10個を約半時間ばかり水につける。次に里芋15個を皮と共に15分間熱湯ににて茹でて皮をむき、1個を2つに切る。
次に京菜100匁に塩を少し入れて茹で水に浸し、揃えて絞って水気を取り1寸位の大きさに切る。次に大根50匁を生のまま皮をむき5・6分の暑さに輪切りにする。餅は焼かずに熱湯に10分間ばかり煮ておく。
次に昆布20匁を水で洗い1升の水に入れそのまま1時間ばかり漬けおき、それを火にかけて煮立たせ沸騰したら直ちに昆布を引き上げ、その煮汁に鰹節の薄けずり5匁をさっと入れ之をこす、それに小匙半杯の「味の素」を加える。
かく煮汁を用意しておき、昆布、焼豆ふ、里芋、椎茸、鯛身を串にさし、それをさきの煮汁に入れて10分間ばかり煮るが、その時、少しの塩と醤油にて味をつける。
かく全て用意が整ってより長崎雑煮椀をとりだし盛りつけをする。
椀盛りの順序は、先づ、椀のそこに先こくの輪切り大根1片を椀の底に置き、上に串ざしの諸菜を串よりぬいて都合よく見かけよく並べ、最後に傍らに京菜をそえ、煮込んである熱き煮汁を注ぐ。
是にて1人2椀あてとし、5人分の用意できる。先の大根を椀の下に敷くは2点の利あり。1は椀底に餅の粘着せぬように、次に子供が誤って餅をのどにつめた時、その大根を食べれば即座に除かれる効あり。
2.江戸時代の長崎雑煮
水菜・大根・牛蒡・するめ・昆布など6品に、古式は、干しあわび・干しいりこ(海鼠)を加えた。
寛政9年(1797)長崎の人・野口文龍が記した「長崎歳時記」をよむと長崎雑煮について次のように記している。
雑煮。水菜・大根・牛ぼう・するめ・こんぶ・南京芋または里芋を用意す。
右の6品を見合わせ、串にぬいて置くなり。
次に「だし」を煮て餅を入れ、出す時に先に串をさしておきし6品をあたため串をぬき椀を盛りて出す。
昔は干あわび・干いりこを串にぬきておき雑煮に加うるを古式とす。されど今は慎みある家にては此の2種をはぶく也。
この最後の慎みある家にては「干あわび・干いりこ」2品をはぶくという意味は、当時・輸出用の銅の国内生産量が不足していたので、銅に替えて海産物を俵につめ俵物と称し主として中国に輸出していた。
その中でも「干あわび」「干いりこ」の2品はとくに需要が多かった。然し右2品は特に集荷することが困難であった。「干いりこ」をいうのは海鼠(なまこ)を干したものであり、中国料理の食材として珍重されていた。
そのために長崎奉行では、時として「あわび」「なまこ」を食べることを禁じていたので、長崎の家庭で「慎みのある家」では正月の縁起物であっても「干あわび」「干いりこ」を食べることを控えていたと言うのである。
3.明治以降の長崎雑煮
山の幸、海の幸など長崎趣味の7~11品。その味わいは長崎料理の粋
▲有田焼花模様色絵鉢
先学の渡辺庫輔先生の「長崎旧家料理手控帳」が私の手元にあるのでその中より正月雑煮のことを拾うと次のように記してある。
1.元日雑煮のこと
鯛の身、鳥の身、いり子(干海鼠)、半ぺん、あわび、くわい、椎茸、昆布、にんじん、かつを菜 是は12月31日に竹に搓しておく事。
1.元日の朝は神様へのお酒とお雑煮を上げる事。
1.佛壇には精進にて雑煮を供へる事。
1.元日の朝お雑煮の時、向皿 に裏白の小さきものを敷き其の上に「からがき鰯(丸ぼし鰯のこと)」腹合せにして置くこと。
1.お雑煮は3日の日まで出す事。
昭和38年長崎調理研究会より発刊された「長崎料理研究」第7に同会の後見役であられた小方定一老が語られている長崎料理自慢話の中にも長崎雑煮が載せられている。
その中で長崎雑煮の味は「長崎料理の粋である」と言っておられる。
長崎の人達はダシをとるのに北海道田尻の昆布と鰹魚節は土佐か薩摩の本節でなければ使用しません。その「出汁」は、「こんがりとした焼いた餅の香りと風味が良く調和し何とも言えない味」と語られている。
これをみると前段での長崎雑煮の餅は焼かないと記してあるが明治以降は餅を焼くようになったのであろう。
長崎風俗考の著者・足立正枝翁は長崎雑煮について次にように記しておられる。
○雑煮は特に長崎趣味を専らにして他土に誇れるものなり。
通例は餅・菜・芋・大根・牛蒡・塩鰤・昆布などにして此より以上は、之に巻ハンペン・海老蒲鉾・鶏肉・鯛の身(塩鰤に代ゆるなり)ナマコ・クワイなどこれ亦好みに依て加うるなり。
餅は必ず一応焼き入るること、是長崎特種の習ひなり。
○2日には雑煮の他ナマコを刻みて交ぜたるナマスを膳に供す。
○3日はカラガキ鰯をむしりて交せたるナマスを添ゆる。
長崎市立博物館の長老であられた林源吉老も長崎料理については一家言を持っておられた。昭和32年12月の長崎市教育委員会の月刊号に長崎雑煮について老は次のように記しておられる。
長崎の雑煮は特に美味で栄養価に富み、なかなか評判がよく長崎名物のひとつである。お雑煮をいただく雰囲気は印象的で、世の中が変わってもこれだけは一生実行したいものである。
次に献立にふれることにする。
雑煮は小餅をはじめ唐人菜、塩鰤、鶏肉、巻半平、椎茸、くわい、人参、牛旁などの9品、あるいは7品、11品、お椀の見込みに菜の葉をしき、小餅をのせる。
小餅は網で焼かないとお椀にくっつく。一部では「菜(名)を残す」とて縁起をとり、菜を残す向きもあるという。
このように長崎雑煮は山の幸、海の幸と分量が多くかさむから長崎の雑煮椀は特に大形である。
4.長崎の雑煮椀
正月の雑煮にだけ使用する秘蔵の椀は、唐伝独特の漆塗の特注品。
▲足立家雑煮椀(光源寺蔵)
私は先年長崎の漆芸について少し記したことがある。長崎の漆芸については西川如見の「長崎夜話草」にも記してあるように長崎には唐伝独特の漆芸があった。
長崎の旧家には正月の雑煮にのみ使用する特注の「カシ椀」に似た大きめの雑煮椀が秘蔵されていた。その椀は各旧家自慢の品であった。
前記足立敬亭の家は貿易商であり、各藩の御用達も兼ね屋号を海老屋といった。その故に足立家の雑煮椀は黒塗りの大きな椀に朱の漆絵で海老が描いてあった。
この椀は今も長崎伊良林の光源寺に伝世されている。
それは天保2年(1831)光源寺大火の時、とりあえず大壇那の海老屋より火事見舞いとして贈られたものと伝えられている。
長崎雑煮椀はひとまわり大きくて黒漆、朱漆、溜塗などの下地の上に松鶴の事や宝珠、鯉魚などの図が巧みに描かれているのを多く見かけたが、戦後は殆ど、そのような立派な長崎雑煮椀を見かけなくなったのは寂しい。
尚、本稿については長崎純心大学博物館発刊の拙著「長崎学・續食の文化史」を参考にして頂くとよい。
第13回 長崎料理編(四) おわり
※長崎開港物語は、越中哲也氏よりみろくや通信販売カタログ『味彩』に寄稿されたものです。