第11回 長崎料理編(二)

1.長崎くんち料理

旧暦9月1日の「庭おろし」が祝宴。本膳の馳走に、甘酒、栗柿饅頭を菓子として出す。



▲南蛮料理「ヒカド」


 旧暦の9月9日は長崎の氏神諏訪神社の祭礼日であり、土地の人達はこれを「クンチ」とよんでいる。

 古記録を読むと「長崎くんち」の祝宴は、くんち当日は忙しいので旧暦9月1日を「庭おろし」といって其の夜は家に料理を用意し親類知者へ案内をだし馳走し、「甘酒を造り栗柿饅頭を台に盛りて菓子として出す」と記してある。


 長崎くんちの当日、7・8・9日の3日間は踊町・年番町などと忙しいので殊更に人を招き馳走するなどという事はなかった。

  この9月1日の「庭おろし」の時の祝宴はシッポクではなく、全て黒塗又は朱塗の本膳で用意されている。

  このくんち料理の資料として今回は先に紹介した割正録<第10回 長崎料理編(1)参照>の中より「長崎くんち」のある旧暦9月上旬の料理を取り上げてみることにした。


 同書によると最初に出される一の膳は次のように記してある。先ず前菜として次の4品がだされる。


小箱 わさび味噌をしき・雉子のささ鳥・松たけ・ぎんなん

猪口 あみの塩辛

引肴 大つとの蒲鉾、切しそ

吸物 塩煮、こちの薄背切、ゆ(註:ゆとは湯葉のことであろう)


二の膳には次の3点がだされた。


膾(なます) 酢いり酒・湯引いか・はす芋・黒くらげ・ざくろふりて

註:長崎くんちの膾には必ず「ざくろ」を上にかける風習が今も残っている。


 私はこの「ざくろ膾」のことについて拙著「続長崎食の文化史」(平成8・10・長崎純心大学博物館刊)の中で記しているが、その時長崎女子短大の大坪藤代先生よりザクロが朝鮮通信使歓迎の馳走の中にあることをお聞きした。


 このことより考えてザクロを祝宴に使用する料理は「長崎くんち」のルーツが博多にあることより考えて、ザクロ膾のルーツも博多方面から「くんち行事」の風習の1つとして伝えられたのではないかと推測してみた。

どうであろうか。


二の椀 すまし汁・たいらぎ(貝)・子茄子木口切・岩たけ

坪皿  とうふ・とろろ


三の膳として次の3品が用意されている。


汁  すり立小鳥・小かぶ・しゅんぎく

平皿 にしめ塩梅・たたきたこ・燒栗・小梅干

大皿 鮎やき・ひたし菜・あらめ短冊




▲古伊万里赤絵金彩皿


註:汁につかわれている「しゅんぎく」について同書の巻末に次のように記してある「しゅんぎくは方言也。高麗菊と言う。8月頃よりたうの内葉をつみてもちゆ」

次に古賀十二郎先生の未刊原稿「諏訪社雑綴」(長崎県立図書館古賀文庫)によれば10月4日くんちの人数揃の日には次の料理を用意したと記してある。


 当日(人数揃の日)踊町の家では来客あれば必ず馳走を出す。


1,菓子は海老糖、湿地茸、カステラなどを大平にて盛て出す。

2,料理の中に必須のものは鰭椀、中に松茸と栗を入るるを要す。

 この他、柘榴なます、及び泥鱒汁を用ゆ


 但しこの10月4日人数揃というのは明治5年旧暦が新暦に変更になったので長崎くんちの祭礼日が10月7・8・9日の3日と変更され、それにつれて10月4日を人数揃となった事より考えて本稿の料理献立は明治頃のくんち料理と考える。



2.異国趣味の長崎料理

「もうりう、すすへひと、ひかど」など鶏や家鴨を使い、塩味の南蛮の料理は、多分に中国風。



▲清朝の急須


 前出の「割正録」には長崎地方における異国府の料理として次の7種類の料理名をあげている。


 1,くずたたき。 2,えひもち。 3,もうりう。 4,すすへひと。 5,ひかと。 6,くじいと。 7,てんぷら。


 私は先年・東北大学狩野文庫より「南蛮料理書」の複写本を長崎県立図書館の渡辺庫輔文庫に見いだし、更に前出の松下幸子先生より東北大学所蔵の原本の複写をいただいた。

  この本の成立は江戸時代の初期と言われているが渡辺先生は江戸時代中期と考えておられた。同書の中より南蛮菓子を除き南蛮料理を拾うと次のようになる。


 1,ひりやうす。 2,南蛮料理ひりし。 3,てんぷらり。 4,とりやき。 5,うをの料理。 6,くぢいく。 7,たまごどうふ、(他略す)


割正録に記す「くずたたき」は南蛮料理書の「うをの料理」と同じで、その料理法は次のように記してある。


 魚をせぎりにして葛の粉をつけ、摺り粉木にてとろとろと身の切れぬように打ち開き、油にてあげる。

ゆびきでも用ゆ。えひ・蚫などにても同じ仕形也。(後者の本には葛の粉を麦の粉と記し、油にて揚げた後、丁子にんにくをすりかけ味をつけ煮しめるとある。)


 2,えひもち、うどん粉又は葛粉を海老の身にまじへ良くたたき葱を小さく刻みこみ、丸くして油にてあぐ。「くずな」にても同じ也。


 3,もうりう(松下幸子先生の注に「もうりつ」は毛竜と記してある)鶏・家鴨いずれにても、骨ともに切りて大根、ねぎなど入れ煮也。身だけをささ鳥にして用ゆ。塩あんばい也。

  酒水にて良くたたき正油はかくし味として塩にて味付けをする。この他水煮ソップなど色々仕形あり。取り合の貝もこの他あり。

註:多分に中国風の料理であるが文化5年(1808)江戸で発刊された「料理談合集」には南蛮料理として次のような記録がある。

鶏の毛を引き、首足としりを切すて、鍋に入れ、大根を厚く輪切りにして煮あげ、鶏の骨ともよくたつき丸めて酒・塩にて、うす味にするなり。すひ口に葱、唐辛子などよし。


 4,すすへひと、異国の料理也。鶏か家鴨の身をさいの目に小さく切り、水・酒にてたき正味は少し、山芋を小さく切りて入、パンというものをときて入る。

又はパンの代わりに「うどん粉」を入れ、とろりとし、葱をきざみ、玉子つぶしてときまじえて出す。是も塩あんばいがよし。

註:この料理にはパンの言葉が使用してある。パンはポルトガル語のp~aoであり江戸時代にはキリスト教に関係があるとして一般に食べることは禁止されていた。

但し出島のオランダ人のみは長崎の街でパンを製造することが許されていたパン屋がオランダ屋敷に毎日納入していたので当時一般の人達がパンを自由に口にすることは殆どなかった。

その故に料理にはパンに代えて麦の粉としている。


 5,ひかど これも異国料理也。鳥と大根を小さく賽の目に刻み葱きざみ入れ、玉子つぶし入る。是は麦粉を入れず、さらりとしたるようにする也。味付は「すすへひと」と同じ。

 魚を使用するときはあま鯛・いとより・小鯛にてもする也。魚は油にていため、其の上にて味をつける。すすへいと、ひかと共に同じ塩梅なり。

 註:ヒカドとはポルトガル語のpicadoすなはち小さく刻む、調理するという意味である。古賀十二郎先生は長崎市史風俗編の中でヒカドについて詳しく説明しておられる。

それには鮪と大根・甘藷とを交ぜて煮込み正油にて味をつけると記し、ヒカドにはドロドロ汁を作る場合と作らぬ場合があると記しておられる。

 「割正録」では前述のようにドロドロ汁した場合には「すすえひと」といい、さらりとした場合には「ひかと」と言っている。

1800年頃までの長崎料理では前述のように両者を分けてそのように呼んでいたのである。


第11回 長崎料理編(二) おわり


※長崎開港物語は、越中哲也氏よりみろくや通信販売カタログ『味彩』に寄稿されたものです。

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