第484号【長崎の家紋】
秋の大祭「長崎くんち」が先週7、8、9日に行われました。長崎の中心市街地は、今年も奉納踊りや庭先回り(家々や事業所、官公庁などを回り、玄関先や出入り口などで演し物を呈上すること)で大にぎわい。心躍らすシャギリの音とともに、まちを練り歩く演し物の後を追っていたとき、ふと鼻先をかすめたのがキンモクセイの香りでした。いつもならくんちの後なのに、今年はちょっと早いかな。長崎県内各地のコスモスの名所はすでに満開。山々ではじきに紅葉もはじまります。遠出しても、しなくても、この季節ならではの澄んだ空気とさやかに見える月や星はいつもそばにあります。美しい日本の秋を楽しみたいものです。
日本の美といえば、「家紋」もそのひとつかもしれません。月や星、草花、生活の道具などをモチーフにした図柄は簡素化され、どの時代にも受け入れられる普遍性が感じられます。日本人の感性を映し出した大切な文化ともいえる家紋の歴史は約千年。現在その数は1万とも、2万ともいわれています。現代の生活のなかで家紋が用いられるシーンは少なくなりましたが、着物(背縫いの中央、両胸元、両外袖)に付けられているのは、いまでもよく見かけますよね。
長崎くんちでは、庭先回りで訪れる家々や事業所などの出入り口に、家紋と家名を染め抜いた幔幕(まんまく)が張られます。青や紺地に白抜きの家紋は、そのシンプルなデザインの力もあって、とても目を引きます。くんち見物でまちを歩いていると、たまにどこからか、「あ、うちと同じ家紋だ!」という声が聞こえたりもします。また、よく見かける紋でも、その名称は案外知らないものです。くんちの幔幕から、いくつかご紹介します。
長崎に生まれ育った知人の家は、「丸に隅立て四つ目(まるにすみたてよつめ)」。由来を尋ねると、「母親から、清和天皇ゆかりの紋だと聞かされてきたけど、よく分からん」とのこと。種類的には「目結紋(めゆいもん)」といわれる紋のひとつで、布を染める時、布の一部をくくってできる文様からきたもの。かつては武将たちに多く用いられた紋だそうです。
長崎でよく見かける紋のひとつが「橘紋(たちばな)」。ミカン科の常緑小高木である橘をモチーフにしています。聖武天皇より賜ったものといわれ、橘氏ゆかりの古い紋だそうです。葉と果実を組み合わせたデザインは、どこか愛らしさがあります。橘氏の系譜を持たない武家などでも用いられました。
九州の戦国大名・大友氏が愛用したという杏葉紋(ぎょうようもん)。杏葉とは馬に使う装飾用具のこと。大友氏は功労のあった家臣らに、この紋を与えたとか。その後、大友氏を倒した龍造寺隆信へ、さらに龍造寺家を倒した鍋島家に伝えられました。北九州地方の武士たちが憧れた名紋です。
江戸時代には武家を中心に用いられた家紋ですが、町人たちも使用を認められていて、多くの新しいデザインが生まれました。とくに商家は屋号として用い、のれんや半てん、てぬぐいなどにしるしました。庶民が広く家紋を用いるようになったのは、明治時代に入ってからだそうです。
家紋のルーツを辿れば、たいてい由緒あるものばかりで、いずれも吉祥や家訓に通じるものなど、家の繁栄を願う気持ちが込められています。さまざまなご縁を結びながらいろいろな時代をくぐりぬけてきた家紋。その由来や意義をひもとけば、あなたのルーツが垣間見えるかもしれません。
◎ 参考:『正しい紋帖面』(古沢恒敏)、『〜面白いほどよくわかる〜家紋のすべて』(安達史人 監修)、『イラスト図解 家紋』(高澤等 監修)