第10回 長崎料理編(一)

1.割正録のこと

長崎人が執筆した長崎料理の参考書、南蛮・異国風味を加味した、異色の献立集



▲青華亀山向付


 長崎料理のことを記した本に「割正録」というのがある。

  この本のことについて昭和37年長崎調理研究会の機関誌「長崎料理」の創刊号に渡辺庫輔先生が初めてこの本を紹介され次のように記しておられる。


 割正録は長崎料理に関し最高の参考書であると信じ、此こに復刻することにた。原本は私の所蔵である。


 解説は最後に書くつもりである。原本には難読のところも少なくない。変態仮名は改め、片仮名はそのままにして置いた。

    寅12月  渡辺庫輔識

  渡辺先生が歿くなられたのは昭和38年6月であり、この割正録の復刻は臘月上旬で終わっている。そして先生所蔵の原本は現在長崎県立図書館所蔵の渡辺文庫の中には収録されていないようである。


 その後、千葉大学教授松下幸子先生より御教示いただいて割正録の写本が題名を「料理集」と改められ国立古文書内閣文庫と東北大学狩野文庫にあることを知った。

また私は東大資料史料編集所の加藤栄一先生から内閣本料理集の複写本を送って戴いた。


 昭和55年松下先生はこの料理集を研究され「千葉大学紀要29」にその成果を次のように発表され私にも其の一部を送って下さった。

  その紀要の中で松下先生もこの「長崎料理」の価値について次のように高く評価されている。


 この料理集は長崎の人の執筆で、献立の内容は長崎の料理で所謂南蛮風、異国風料理の加味された日本料理、つまり長崎料理の献立集である。

  その点については異色の献立集と言える。

  これは長崎にある大音寺日鑑にみる献立や同地の料亭、各家庭の料理控類を除けば、他にこれに比敵するものは見当たらない。



2.この本の執筆者は誰か

雅号は「崎水」。茶道や俳諧にも一応の心得があり、教養のある料理屋の主人?



▲南方青磁蓋物


 本の筆者を考える前に、一体この本はいつ頃できたのであろうかと考えねばならない。


 渡辺先生の「割正録」には年月の記載はないが、東北大狩野本にこの本を写した年号が「享和三正月吉祥日・和田市兵衛・増田半衛門因写之」とあり、同写本の序文の後には次のように記してあると松下先生は述べられておられる。


 丁巳仲和  崎水  白蘆華 記

  そして丁巳仲和の年とは寛政9丁巳年仲春(1799)のことであるとされている。


 その故に此の本は寛政9年以前に著述されていたのであろう。

  著者の崎水とは雅号である。長崎のことを崎陽といったので崎水は長崎の人であると考える。白蘆華の本姓は不詳であるし、どのような人物であったかも不詳である。

  著者は同書の序文の中で「私は茶道にうとく」。料理のことについては「只聞伝え習い得たる事を組み合わせ、その仕方等を粗にしるし、又公案を加えた類のもの、塩梅なども書付」けたのであり、この本を書く動機になったのは「或る人のもとめよりて漫にかき記す所也」といっている。


 著者は「茶道にうとく」と記しているが、料理の献立は「茶人の書によりて料理の序に従う」といっているので茶道についても一応の心得がある人物で、俳諧の事を料理献立に引いて「是は俳諧にいへるさび、淋しきにあらず・・・」と記しているので俳諧にも心得があり、「崎水」とは俳諧の雅号であると考える。


 以上の事より白蘆華という人物を私は次のように考えてみた。


 料理の事については習得することのできた人物で、茶人ではないにしても茶道については一応知るところがあり、俳諧についても心得があり、教養のある料理屋の主人像がうかんでくる。


 寛政頃の長崎を代表する料理やとして西山松ノ森社の境内に千秋亭があった。古賀十二郎先生の長崎市史風俗編の中には「俳人紫暁」の浮草日記を引いて千秋亭のことを記しておられるので千秋亭主人は俳諧を嗜む人であったろうし、千秋亭は又の名を吉田屋といったので白蘆華の姓は吉田氏であったと思う。

  又、寄合町・丸山の遊里の主人にも引田屋主人山口拝之のように俳諧をよくした文人もいたので崎水はその方面のひとであったかもしれない。



3.長崎料理の献立

正しい長崎料理を記すという意の題名。一汁五菜を基に四季に分けた、三十六種の献立表。



▲台湾の竹篭


 本料理集の書の原本には「割正録」と記してあるのは、先にも言ったが、「割正」とは諸橋漢和辞典に「割は断で、さきて正すの意」とあるので、

ここでは正しい長崎料理を書き残すという意味の題名と考えてよいようである。


 著者は四季に分けて献立をつくり、1ケ月に3回の献立をたてて作っているので、一季節の献立は9回の献立となっている。

本書は四季の献立であるから全体は9回×四季となり36種の献立が表にして竝べてある。


 次に本書の序文によると「一汁五菜をもととし、猶、二汁六・七の菜類に組合せ 肉類を撰びて繁を計り、闕けたるを補ひ・・・」と記してある。

  一例に正月上旬のものを記すと


 二汁七菜の時

   汁、  たいらぎ・岩たけ・ねせり

   猪口、  塩から

   曲物、  敷葛にて・骨ぬき小鴨・くわい・しめじ

   炙物、  きし・干いわし・やきのり

   鱠、  酢いり酒・きす・しし貝生作り・巻すいせんし・しぶ栗・きんかん

   平皿、  ねりみそ、むし鮒

   引肴、  青のり粉まぶし・にんじんふとと煮

   汁、  薄みそ・塩鱈背切・若め・すくひ豆ふ・ぬうと

   坪皿、  青かちもどき・小鳥・松露・わさび

   吸物、  ぬかみそ・しじみ


註、以上の献立表の次には料理の造り方が記してある。例えば


●しし貝生作は、一夜正油酒にひたし置き盛り合すべし。

●鱈の味噌は、骨あたまを煮出し、盛合せしかるべし。

●しぶ栗は、肉皮を付て切形 さび栗ともいふよし

●青かちもどき 青かちは鶉雉子に限る、仕方青かちの所に記す。もどきは小鳥の身をひらつくりにして、骨のあばらを去り、もも等こもかにたつぎ、だし正油の煮汁にてときながし、身具を加ふ。塩梅はいり鳥の少しさらりとしたる良し、塩はたっぷりと盛るべし、小鳥もつぐみ可然。


 更に本の最後に長崎地方の料理材料の方言をまとめて記してあるのは大いに参考となる、例えば


 1,どせん   うどのことなり。

 1,くるくる   あんこうのくるくる、餌袋也。

 1,ゆすら   庭梅の衆類也。

 1,金ひれ   ふかひれの肉すじ也。


 (以下次号につづく・・・・)


第10回 長崎料理編(一) おわり


※長崎開港物語は、越中哲也氏よりみろくや通信販売カタログ『味彩』に寄稿されたものです。

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