第466号【小正月~小豆よもやま話~】

 初春気分がどこか抜けきれなかった松の内も過ぎて、きょうは小正月。朝から小豆粥を召し上がった方もいらっしゃるのではないでしょうか。もともと小正月は新年最初の満月を祝うもので旧暦の1月15日(今年は新暦3月5日にあたる)に行われていました。新暦採用後も1月15日を小正月としましたが、いまも旧暦で祝う地域は少なくないようです。また小正月の期間も15日のみだけでなく、1416日までや1520日までなどいろいろです。



 

 小正月に小豆粥を食べる風習は各地に残っています。ちなみに「小豆」は季語ではありませんが、「小豆粥」は新年の季語。17日に七草粥を食べて健康を祈願する風習と同じく、こちらも一年の無病息災を祈っていただきます。古来、小豆の赤色は邪気を祓う力があると考えられていましたが、薬膳では、新陳代謝を促し、デトックス効果がある(むくみや吹き出ものなどを解消する働きがある)とされ、実際、身体の毒素(魔)を出すという意味で、古来の人々の考えは正しかったのです。



 

 赤飯、おはぎ、ぜんざい、あんこ餅、小豆を使った食べ物は数多く、行事食や日常食として、たいへん身近な食材です。ところで、小豆によく似た豆で「ささげ」というのがあります。小豆より固く、煮崩れしにくいので、関東地方のお赤飯はこの「ささげ」を使うことが多いとも言われています。なかには小豆と混同している方もいらっしゃるかもしれません。東南アジアで広く食べられているる小豆は中国原産。日本では北海道が主な産地のひとつです。一方、「ささげ」はアフリカ原産ということもあってか、日本ではその多くが関東以西で栽培されました。関東地方のお赤飯に広く用いられたのも、そうした理由があるようです。



 

 小豆を使った和菓子を見渡せば、ときに個性的なもの見られます。対馬市の小茂田浜神社(こもだはまじんじゃ)の秋の大祭のときに作られる「だんつけもち」は、そのひとつといえるかもしれません。小さなもちに塩ゆでした小豆をまぶしただけのシンプルな豆もちで、塩豆大福の元祖ともいえるような味わいです。文永の役(1274)で、蒙古軍の襲来に備えて、兵士に持たせるためのあん入りもちを作っていたところ、相手が思ったよりも早く攻めてきたため、もちの中にあんをいれる余裕がなかった、というユニークないわれがあります。



 

 当時(鎌倉時代)砂糖は一般に使われておらず、塩ゆでした小豆を使う「だんつけもち」からはその時代背景がうかがえます。また、地理的に韓国に近く古くから交流があった対馬ですが、聞くところによると韓国では、小豆を砂糖で甘く煮ることはほとんどないそうで、韓国料理の影響もあったのでは?という想像も膨らみます。さらには、大陸との交通の中継地だった対馬ですから、都からの往来もあったことを踏まえれば、京都の食の影響なども考えられます。「だんつけもち」のルーツは、辿れば辿るほど収拾がつかなくなるのでした。

 本年も弊社「ちゃんぽんコラム」をどうぞ、よろしくお願い申し上げます。





 

              参考にしたもの/『聞き書き 長崎の食事』(農山漁村文化協会)、リーフレット『長崎の郷土料理 シリーズ⑧』(18銀行)、『日本の食材帖 乾物レシピ』(三浦理代/主婦と生活者)

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