第461号【「すぶくれ」は、「白パン」か?】

 小腹が空いて買い求めた「すぶくれ」。「すぶくれ」とは、餡の入っていない「酒饅頭」のことで、小麦粉に甘酒を入れ、少しの砂糖と塩を混ぜて練ったタネを、こぶし大に丸めて蒸しあげたものです。たんに「酒饅頭」とか「蒸し饅頭」、「蒸しパン」などと呼ばれたりもします。饅頭界における名称というのは、その饅頭が庶民的であればあるほど、深い意味付けもなくいろいろな呼び方をされるようです。



 

 「すぶくれ」は、ほのかに麹の匂いがするやさしい甘さで、どこか懐かしいおいしさです。ちなみに現在では甘酒の代わりに、重曹やイースト菌、ベーキングパウダーなどを使って膨らませたものも多いよう。それぞれ微妙に風味が変わります。



 

 長崎県下各地の地産地消をうたう店などに行くと、地元の人が手作りした「すぶくれ」を見かけることがあります。他の地域のことはわかりませんが、少なくとも長崎県内では、餡なしの饅頭の存在は、昔ながらの味のひとつとして食べ継がれているのです。



 

 ところで先日、長崎の歴史に詳しい先生から、興味深い話をうかがいました。ポルトガル人が伝えた「南蛮文化」と、出島を通じてオランダ人が伝えた「紅毛文化」の違いについてです。大雑把な言い方をすれば、「南蛮文化」は、市中に住んでいたポルトガル人らが、日本の庶民にじかに伝えた生活文化。「紅毛文化」は主に医療や天文学につながるサイエンスが中心で、その情報は将軍や大名家、学者など限られた人々に伝えられたものであるということでした。

 

 長崎に南蛮文化が花開いたのは、南蛮貿易港として栄えた時代。長崎開港(1570年)後、ポルトガル船に乗ってやってきたキリスト教の宣教師や商人たちは、60数年間、長崎市中に散宿していました。そうするなかで、市井の人々に彼らの文化がじかに伝えられたのでした。


その昔、南蛮文化に彩られた辺り(長崎県庁界隈)

 

  「パン」「ビスケット」「カステラ」「コンペイトウ」などの食べ物はその製法とともに名称も伝えられ、「ボタン」「メリヤス」「カッパ」「シャボン」などの多くのポルトガル語もこの頃に伝わりました。これら「食べ物」や「言葉」で「南蛮文化」がいまに残ったのは、やはり、その文化が日本人の生活に馴染み、活かされたからにほかありません。



 

 当時、キリスト教の教会が建ち並び、どこか異国の風景をなした長崎の街角では、パンを焼く匂いが漂っていたと伝えられています。このパンは、「カステラ」と区別して、「白パン」とも呼ばれていたそうです。

 

 ここから、再び冒頭の「すぶくれ」の話にもどるのですが、当時、長崎市中に住んでいたのはポルトガル人だけではありません。日本と貿易を行う中国人も自由に住み、日本の文化と混じり合っていました。それで、前述の街角に漂っていたパンを「焼く」匂いは、実は小麦粉に甘酒を練り込んだタネを「蒸す」匂いではなかったのかと想像するのです。というのも、「すぶくれ」は、中国の小麦粉料理、「包子(パオズ)」や「花巻(ホワジュアン)」などの味にもよく似ていて、長崎人と中国人の歴史的な深い関わりを思えば、ありえない話ではないような気もするのです。皆さんは、どう思いますか?



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