第460号【秋うらら。聖福寺で会いましょう】
きょうは「長崎くんち」の中日。踊り町の演し物がシャギリや太鼓、ドラの音を響かせながらまちなかを練り歩き、大勢の見物客で賑わっています。今年は五島町が「龍踊り」を奉納していますが、二体の大きな龍が秋の日差しを浴びながら空中に舞う姿はとても感動的。「長崎くんち」は明日までです。間に合う方は、ぜひ、お出かけください。
祭りや催しが続くこのシーズン。先月27日には、「長崎孔子廟」(長崎市大浦町)で孔子さまの生誕を祝う「孔子祭」が行われました。古式にのっとった儀式は、祭具も参加する人々も中国絵巻から飛び出してきたかのような華やかさ。太極拳、龍踊り、中国獅子舞なども行われ拍手喝采を浴びるなか、観光客のひとりが、「ホントに長崎ならでは、だね」と言っていたのが印象的でした。
中国色に彩られる長崎の秋。賑やかな催しが続くなかで、先月18日には中国にゆかりの深い「聖福寺」(しょうふくじ/長崎市玉園町)の「大雄宝殿(だいゆうほうでん)」、「天王殿(てんのうでん)」、「鐘楼(しょうろう)」、「山門(さんもん)」の4棟が国の重要文化財に指定されるという、うれしいニュースもありました。
長崎駅前から望む山の麓にある聖福寺は、黄檗宗のお寺です。創建者は鉄心(てっしん)という長崎生まれの僧侶です。その父は陳朴純という中国の人、母は長崎の西村家の人です。鉄心は、隠元(1654年渡来)に接したことがきっかけで僧侶になること決意。隠元の弟子である木庵に師事し、長崎の福済寺、そして、隠元、木庵が初代、二代の住職をつとめた京都にある本山・黄檗山万福寺で修行を積みました。
その後、名僧として親しまれるようになった鉄心は、ときの長崎奉行牛込忠左衛門らの強い後ろ盾と、鉄心の母の実家である唐通事・西村家から主な資金を得て、「聖福寺」を創建(1677年)。その建築様式は本山・万福寺を大いに模して造ったといわれています。
重要文化財に指定された「山門」を見上げると、正面に「聖福禅寺」という扁額がかかっています。この文字は、隠元が81才のとき書いたものと伝えられています。「山門」をくぐると、木陰に覆われた古びた石畳。幕末、いろは丸事件の賠償交渉でこの寺を訪れた坂本龍馬もまた、同じ石を踏みしめたと思うと何だかドキドキします。
苔むした参道の石段を登れば、正面に「天王殿」。その中に鎮座する布袋さまが年季の入った微笑みで迎えてくれます。そして境内奥に、「大雄宝殿」(1697年建築)。中央の半扉に施された浮き彫りの桃が目を引きます。土間や天井は、明らかに日本の寺院とは違う様式。また柿色をした瓦も特徴的。これは肥前・武雄で製造されたものとか。建物の雰囲気、配置など、長崎の唐寺のひとつ、崇福寺ともまた違う趣きです。
ひもとくほどにからみあう濃厚なつながりを持つ長崎と中国。そのいったんを秘めた「聖福寺」の境内に佇めば、めくるめく歴史の延長線上に自分らがいることの不思議を感じるはず。この秋、「聖福寺」で思いを馳せてみませんか。