第450号【クスノキと長崎】

 沖縄地方は一足先に梅雨入り。一方、九州北部の長崎はさわやかな日差しを浴びながら風香る季節を満喫中です。先週日曜の朝、長崎港の「長崎水辺の森公園」へ散歩に出ると、クルーズ客船「ダイヤモンド・プリンセス」(115,875トン)が、松が枝岸壁に停泊していました。「ダイヤモンド・プリンセス」は、10年前、三菱長崎造船所で建造されたもの。ときどき国内外の観光客を乗せて長崎港へ里帰りしています。その白い船体を背景に、公園では太極拳を楽しむ人々の姿がありました。長崎とゆかりの深い中国がルーツの太極拳。平和な五月の空の下、のどかで美しい光景でありました。





 

 余談ですが、この日、長崎港(出島岸壁)には、「ロゴス・ホープ」という船も停泊中でした。新聞報道によると、世界で最大級ともいわれる書店船(125,000トン)だそうで、ドイツのキリスト教系団体の慈善事業のひとつだとか。50万冊もの書籍を積んで世界中を巡っていて、日本へは今回が初寄港だったそうです。



 

 いろいろな船が行き交う港から周囲の山々を眺めると、緑色の濃淡も鮮やかに、まるでブロッコリーのように樹木が生い茂っています。なかでも、明るい黄緑色をしたクスノキの姿が目立ちます。もともと長崎はクスノキの多いまちで、樹齢数百年と思われる自生の大木も少なくありません。秋冬は緑色の葉も、この時期は新緑と小花で、黄緑色に輝くのです。



 

 クスノキは、葉や枝に樟脳を含み、ちぎるとスッとした香りがしますが、開花の時期にはさわやかさに甘さの加わったいい香りを漂わせます。南蛮貿易港として長崎が歴史の表舞台に躍り出るずっと以前から、季節が巡るとその香りを放ち、山々を黄緑色に輝かせていたクスノキ。自然の営みは、長崎港で起きていることなど、どこ吹く風だったのかもしれません。



 

 眼鏡橋より少し上流にある光永寺。そのお寺の前にかかる一覧橋のたもとにも、老齢と思われるクスノキがあります。光永寺は、幕末、若き日の福沢諭吉が蘭学を学ぶために長崎で過ごしたとき、一時寄宿したお寺です。お酒もあまり飲まずまじめに勉強していたという諭吉の長崎での様子は「福翁自伝」にも記されています。



 

 当時の長崎には、のちに明治政府の要人となる人物たちが多数訪れていて、諭吉はこのときの長崎滞在で、のちの活躍に通じる人脈を築いたといわれています。長崎でつながった人の縁は、水面下で複雑にからみあい、間もなく訪れる新しい時代を大きく動かす力になったことでしょう。諭吉も目にしたはずのクスノキを眺めていると、そうした歴史の光と陰をあれこれ想像して、このまちの歴史風土の特異さをあらためて思うのでした。

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