第442号【長崎ことはじめ~南蛮ことば編~】
明けましておめでとうございます。長崎の元旦は穏やかな天候に恵まれました。長崎県でいちばん初詣に訪れる人が多い諏訪神社は、今年も参道が大勢の人々で埋め尽くされていました。眼鏡橋あたりでは、飛び石を渡って遊ぶ子供たちや、帰省した家族がのんびり散歩を楽しむ姿などが見られ、お正月らしい和やかな雰囲気に包まれていました。
さて、元旦から1週間も過ぎれば、そろそろお正月気分もひとくぎり。きのうは七草がゆで、お腹を休めた方も多いことでしょう。風邪気味のとき、食欲があまりないときなど、胃にやさしく、簡単に作れるおかゆや雑炊はありがたいものですね。
ところで雑炊は、一般には「おじや」と呼ばれ、その言葉の響きからも純和風に思えます。広辞苑にも「じや」は、煮える音だとありました。しかし、一説にはスペイン語で煮込み料理を意味する「olla」(オジャ)に由来するとも言われています。もし、そうだとしたら、伝わった時期は戦国時代でしょうか。450年以上も前に日本に初めてキリスト教を伝えたザビエル以後、次々にやってきた宣教師たちによってさまざまな南蛮文化が伝えられました。長崎もこの時代の1571(元亀2)年にポルトガル船が初めて入港し、南蛮貿易時代がスタートしました。
この頃、日本へやってきた宣教師たちの国籍はスペイン、ポルトガル、イタリアなどさまざま。日本人とは違う顔立ち、服装、言葉。彼らを目の当たりにした当時の日本人の驚きようは想像を絶します。
さて、「おじや」伝来のこの時代に、カステラやコンペイトウやアルヘイトウなどのお菓子も宣教師たちによって伝えられました。それぞれの名称は、スペイン語やポルトガル語に由来するものです。宣教師たちは布教活動の際にこうした珍しいお菓子を日本人に配ったと言われています。当時の食生活を思えば、心も身体もとらえるような魅惑のお菓子だったのではないでしょうか。
古き良き日本のお正月遊びのひとつ「歌留多(カルタ)」も、スペイン語あるいはポルトガル語の「carta」に由来する外来語です。当時の日本人は、南蛮人が遊んでいるそれを模して「天正カルタ」(または南蛮カルタ)という、いまのトランプと基本的にはあまり変わらないものを作りました。
ところで、日本には平安朝の時代から「貝覆(かいおおい)」という遊戯がありました。はまぐりの内側に歌や物語の有名なシーンを描き、歌なら上の句・下の句を、絵なら同じものを合わせる遊びです。この遊びが手のひらサイズの長方形の紙に書き分けられ「歌カルタ」などと呼ばれるようになったのは江戸時代初めのこと。これは、「天正カルタ」にヒントを得たもので、貝を紙に代えたことで作る費用も手間もずいぶん省けたそうです。ちなみに紙で最初に作られたのが、当時から人気だった「百人一首」だそうです。
いまもなお、日本の言葉や伝統に大きな影響を及ぼし続ける南蛮文化。その計り知れない魅力と面白さを、今年もいろいろな視点で紹介していきたいと思います。
◎参考にした資料や本/「日本大歳時記~新年編~」(講談社)、「長崎事典~風俗文化編~」(長崎文献社)、「ながさきことはじめ」(長崎文献社)