第413号【稲佐山のふもとのまちを歩く】
長崎港にそそぐ浦上川の河口に架かる旭大橋(あさひおおはし)。港湾のいちばん奥から長崎港を見渡せるこの橋は、観光客があまり知らないビュースポットのひとつです。橋上から港の沖をのぞむと、左手に長崎市の中心市街地で、江戸時代に出島を擁して発展したまちがあり、右手対岸には稲佐山のふもとのまちが連なっています。
旭大橋は1987年(昭和57)に開通。橋の東側は長崎駅にほど近く、市中心部から稲佐山方面へ抜けるときに利用されます。橋の途中から歩道が整備されていて5分足らずで対岸へ渡ることができます。
稲佐山側の橋のたもとは、かつて「志賀の波止場」と呼ばれところです。志賀とは庄屋の名前。江戸時代、稲佐山のふもとは浦上村渕(ふち)と呼ばれ、志賀家は代々この地の庄屋を勤めていました。「志賀の波止場」は、志賀家が支配していた海運業の船だまりだったところです。実はこの界隈、幕末・明治期はロシア艦隊が越冬するための停泊地でもありました。海岸近くにはロシア将校クラブや料亭などがあり、「ロシア村」と呼ばれるほどの賑わいだったそうです。いまでは海岸線は埋め立てられ、当時の面影はほとんど見られません。
「ロシア村」の繁栄を語るとき必ず登場するのが「稲佐のお栄さん」こと道永栄さんです。当時、この地でホテルを経営したことで知られています。天草生まれのお栄さんは美しい顔立ちの人で、社交的で気前のいい性格だったとか。はじめロシア将校クラブで働いていたところ、たちまちロシア人たちの人気の的に。その評判はロシアの宮廷にまで及んだそうです。お栄さんは、のちに高台にある烏岩神社(からすいわじんじゃ)のそばに木造平屋建てのホテルを建設。ここにはステッセル将軍(のちの日露戦争のときの旅順要塞司令官)をはじめロシアの高官たちが多く宿泊したそうです。
烏岩神社の参道の登り口には、「お栄さんの道」の碑が建てられています。曲がりくねりながら続く階段は300段以上。登りきるとお栄さんのホテルがあったと思われる付近に小さな公園がありました。対岸の南山手、東山手の旧居留地も遠くに見渡す景色はすばらしく、TVドラマのロケ地になったこともあるそうです。
烏岩神社から小さな谷をくだった先に、悟真寺(ごしんじ)があります。1598(慶長3)に開かれたこのお寺は唐人の菩提寺とされました。悟真寺の墓地は長崎に3つある国際墓地のひとつで、その墓域には唐人墓地、ロシア人墓地、オランダ人墓地があります。ロシア人墓地にはロシア正教の小さなチャペルがあり、往時を偲ばせます。庄屋志賀家のお墓もロシア人墓地の隣にありました。ちなみに幕末の頃の志賀家の当主親朋(ちかとも)は露語の通訳になり、ロシアにも留学。維新後はロシアとの外交交渉に通訳として関わったそうです。悟真寺の国際墓地は、稲佐の個性的な歴史をいまも静かに物語っています。