第409号【長崎の精霊流し】

 先週はお盆で、久しぶりに里帰りしたという方もいらっしゃることでしょう。長崎のまちも観光客の方々に、帰省した人々も加わっていつも以上の賑わいに。家族揃ってお墓参りする光景が、あちらこちらで見られました。

 

 先祖の霊を迎えて供養するお盆。盆踊りや灯籠流しなど、各地にはいろいろな盆祭りがありますが、なかでも長崎は、その規模と豪華さで全国でも屈指の盆祭りだといわれています。



 

 8月13、14、15日に行われる長崎のお盆で特徴的なもののひとつが、お墓参りの光景です。お墓の前には小さなスペースがあり、お参りに来た家族や親戚たちは、そこで爆竹を鳴らし、花火を楽しみます。また大人たちは静かに酒を酌み交わすなどして、亡き人と一緒に和やかなひとときを過ごすのです。



 

 そして、長崎のお盆を全国的に知らしめているのが、お盆最終日に行われる「精霊流し」です。故人の霊を船に乗せ、西方浄土へ送るという意味を持つ行事ですが、その盛大さ、賑やかさは目を見張るものがあります。 



 

 300年以上の伝統がある長崎の「精霊流し」。長崎の郷土史家、越中哲也氏(長崎歴史文化協会理事長)によると、1596年頃、キリシタンのまちだった長崎に、まず浄土宗のお寺が入り(その後まもなく、キリスト教は禁教令が出される)、「浄土には船に乗っていくのがいい」という浄土宗の考えから、「精霊流し」がはじまったといいます。また、現在の「精霊流し」は爆竹や花火でたいへん賑やかなのですが、その昔は、しめやかなもので、男衆が船を担ぎ、ゆっくりと流し場へ向かったそうです。江戸時代後期の画家でシーボルトのお抱え絵師として知られる川原慶賀が描いた精霊流しの絵からも、そうした光景が伝わってきます。





 

 さて、この1年間で亡くなられた方の霊を乗せる精霊船。その大きさは、両腕で抱えられるくらいの藁船(わらぶね)から、十数メートルはある木製の大船までさまざまです。船上には遺影のほか故人にゆかりのものが飾られ、一隻ごとに個性が見られます。また精霊船には町内で出す、もやい船もあります。最近では、小型トラックを使ってもやい船を出すところも増えてきました。「もやい船は10人から20人の引き手が必要。いまは、その人数がなかなか揃わないので、トラックで出すんです」と、ある町の世話役の方が残念そうにおっしゃっていました。



 

 地元の女性(70代)は、「精霊流し」がはじまると、必ず沿道に出て一隻、一隻、どこの家から船が出ているかを確認するとか。というのも、この行事を通じて、知人が亡くなったことを知ることも少なくないからだそうです。



 

 今年の長崎の「精霊流し」は、3,500隻以上の船がまちをねり歩きました。爆竹と花火、カネの音、そして「ドーイドイ」という掛け声が響くなか、故人への思いを乗せた船は、大勢の沿道の人々に見守られながら西方浄土へ送られたのです。












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