第398号【南蛮渡来の武士の内職】
3月に入り雨の日が多い九州地方。菜の花が咲きはじめる頃の長雨だから、菜種梅雨(なたねづゆ)と言われます。東北地方の天気予報を見るとまだ雪のマークがちらほら。でも、じきに春は北上。温かな日差しを浴びる日ももうすぐです。
今回は南蛮貿易時代に長崎に伝えられ、その後、武士の内職となったある技術をご紹介します。それは「莫大小」というものなのですが、この漢字、何と読めばいいのでしょう。「ボダイショウ?」イエ、イエ。ヒント1、毛糸を使う手工芸。ヒント2、ポルトガル語のmeias、またはスペイン語のmediasが語源といわれ、その発音に漢字を当てて「目利安」「女里弥寿」などと表記されました。そうです。答えは「メリヤス」。
「莫大小」とは、「大も小も莫(な)い」という意味です。毛糸を複数の細い棒を使って編み上げる「メリヤス」は、それまで日本にあった麻や木綿織りの布地と比べ伸縮性が高く、身に付ける人やものの大小を問わず合わせることができました。そこから「莫大小」という表意語が生まれたといわれています。
前述のmeias、mediasは、「靴下」を意味しました。当然ながら長崎に伝えられた当初の「メリヤス」も編んでつくる靴下のことでした。江戸時代の長崎の景観、風俗、工芸など写生風に描いたものを集めた「長崎古今集覧名勝図絵」のなかにも、「メリヤス」の項目があり、編み物をしている女性が描かれています。縁側そばで日中の明かりをとりながら編む姿、かたわらでネコがくつろぐ様子など、いまも変わらぬ編み物のシーンがそこにありました。
南蛮渡来の技法を教わり長崎の女性らが編んだ「メリヤス」は、江戸時代中期以降になると、内職として武士の間に広がり、家計を助けました。「目利安」「女里弥寿」が、「莫大小」と表記されるようになったは、この頃だといわれています。武士たちが、3本の鉄串を使い絹糸や綿糸で編みあげていたのは、靴下、肘おおい、手袋、鍔袋(つばぶくろ)、じゅばん、股ひきなど。この内職で知られたのは、松前藩や仙台藩竜ケ崎など。さらに徳川御三卿として知られる田安家、一ツ橋家などでも行われ、メリヤスの名手いわれる武士もいたと伝えられています。
ところで一般に編み物をするのは女性というイメージが強いようですが、たとえばフィッシャーマンニットを代表するアランセーター(アラン島発祥のセーター)などは、漁の合間に男たちも編んだと言われています。また現在も仕事や趣味で編み物をする男性は、意外に多いようです。
手先で同じ動作を繰り返す編み物は、気持ちが落ち着く効果があるといわれています。武士たちは家計のために懸命に編む一方で、ときに無心になり、小さなやすらぎを感じることがあったかもしれません。
◎参考にした本など/「長崎古今集覧名勝図絵」(註釈/越中哲也、発行/長崎文献社)の「靴下の歴史」(内外編物株式会社)、世界の伝統の編み物図鑑(主婦と生活社)
◎協力/長崎歴史文化協会、ニットワーク長崎