第396号【トルコライスをさかのぼる】
ヨーロッパとアジアにまたがるトルコ。かつてオスマン帝国として栄えたこの国に親日的な人が多いのは、120年前のエルトゥールル号遭難事件の影響だといわれています。この事件は、明治23年(1890)9月、来日していたオスマン帝国の特使らを乗せた軍艦エルトゥールル号が、帰路、台風で和歌山県串本町の沖で遭難し、乗組員581人が死亡するという大惨事となったもの。そんな中、69人が救出され、地元住民の救護と日本政府の尽力などにより無事生還することができました。このときの日本人の献身的な救護活動に、オスマン帝国の人々は大いに心を動かされたのでした。
それから3年が経った明治26年(1893)。10月21日付けの「時事新報」(福沢諭吉創設の新聞社発行)の晩の献立を紹介するコーナーに、「土耳其(とるこ)めし」の作り方が掲載されました。この料理は、鶏肉(または牛肉)のスープで炊いたごはんにバターを混ぜ合わせた、いわゆるバターライスのことで、現代のわたしたちがピラフ(Pilaf)とも呼ぶものです。ちなみにピラフは、トルコではごく一般的な料理だそうで、「ピラヴ(Pilav)」と呼ばれます。実はこれがピラフの語源なのだそうです。
さて、この「土耳其(とるこ)めし」が、エルトゥールル号遭難事件で救助された乗組員が伝えたかもしれないと想像するのは、飛躍が過ぎるでしょうか。いや、それ以前にヨーロッパ各国を訪ねた当時の政府関係者によって伝えられたかもしれませんが…。そうでなくとも、エルトゥールル号遭難事件を機にトルコと日本の友好の気運が高まっていた時代であることは確かのよう。史実は別にして、歴史の点と点を突拍子もない想像力で結ぶのは楽しいものです。
さて、ここまでのお話は長崎名物「トルコライス」のルーツ探しの途中で出てきたものです。「トルコライス」とは、ピラフ、パスタ(主にナポリタン)、トンカツの三種類がひとつのお皿に盛られた料理で、昭和の時代におおいに流行ったローカルフードです。それにしてもなぜ、「トルコライス」というのか。いわれには諸説あります。地元でよく聞くのは、チャーハン(ここではピラフのこと)は中国。ナポリタンはイタリア、その中間にトルコがあるから「トルコライス」という説。また、ピラフ、パスタ、トンカツの三種類は三色旗を意味する「トリコロール」という言葉にも通じ、転じて「トルコライス」になったなど。
「トルコライス」は長崎のローカルフードとして愛されながら、その作り方が郷土料理の本で紹介されることはほとんどありません。なぜなら、トルコライスは家庭の料理というより、洋食屋さんの料理だから。その店独自の趣向を凝らしたトルコライスがあるのです。
自分で作れば、いろんなバージョンが楽しめるトルコライス。バターライスとナポリタン、そしてトンカツはお肉を薄く伸ばしてサクサクに仕上げたミラノ風に。また、カロリー制限などを無視するならば、オムレツ風カレーピラフ、ペペロンチーノ、そしてトンカツにはカレーソースをかけて、という組み合わせも。けれど、やっぱり街角の洋食屋さんでいただくのがいちばんおいしいようです。
◎参考にした本など/「福沢諭吉の何にしようか~100年目の晩ごはん[レシピ集]~」、外務省ホームページ「各国・地域情勢」