第394号【初春、諏訪神社と淵神社へ】
明けましておめでとうございます。長崎市民の総鎮守・諏訪神社の新年は、龍踊りの奉納で幕が開けました。古来、霊獣として知られる龍は、おめでたいことの前兆でもあるとか。長坂をいきおいよく駆け上った龍は、異国情緒あふれる舞を披露。大勢の初詣客に新年のうれしい予感をもたらしてくれました。
今年は稲佐山のふもとにある淵神社(ふちじんじゃ)にも参拝し、久しぶりに長崎ロープウェイに乗車しました。昨年秋、リニューアルしたゴンドラのデザインは、工業デザイナー奥山清行氏によるもので、全面ガラス張り。車内から360度の市街地の眺望を楽しみました。
ところで、長崎ロープウェイのふもと側の駅に隣接する淵神社は、昔ながらの素朴な雰囲気が残る神社です。「何だか落ち着く」と、参拝がてら境内のベンチでほっこりされる方もいらっしゃいます。この神社は長崎ならではの興味深い歴史を数々擁したところでもありました。
江戸時代、出島近くに形成されていた長崎のまちに対し、淵神社はその対岸に位置する浦上村渕(ふち)というところにありました。当時は、「宝珠山・万福寺」(明治維新後、渕神社に改称)と称し、弁財天を勧請したことから稲佐弁天社とも呼ばれました。
現在の神社周辺は埋め立てられ昔の面影はありませんが、江戸時代は海に面した景勝地として知られ、安藤広重の「六十余州名所図会」、また「長崎名勝図絵」にも描かれています。境内にはそれらがパネル展示されており、往時の様子がうかがうことができます。
実は、淵神社にはキリシタンゆかりの歴史があります。万福寺創建は、寛永11年(1634)ですが、それ以前に同地に祀られていた妙見社は、天正年間のキリシタン隆盛の時代にその信徒らによって焼かれたと伝えられています。また、境内の一角に祀られている「桑姫社(くわひめしゃ)」はキリシタン大名として知られる豊後の大友宗麟の二女とも、孫娘ともいわれる姫を祀ったもの。
姫は大友氏が豊臣秀吉に滅亡されたとき、大村公を頼って長崎へ。この地の近くに隠れ住み、桑を植え、蚕を飼い、糸の紡ぎ方を近隣の女性たちに教えたそうです。のちにその徳が讃えられ祀られたといわれています。
掘り起こせば、和洋中が混在するいろんな歴史が出てきそうな淵神社。明治時代には、岩崎弥太郎が三菱の安全祈願のために毎年訪れていたとか。また境内にある宝珠幼稚園は、福山雅治さんが通ったことでも知られています。同神社には万福寺の「福」に由来する「福運御守」がありますが、「福」つながりということもあってか、福山ファンの間で話題になっているそうです。
本殿を裏手にまわると、知る人ぞ知る十二支神社(えとじんじゃ)があります。生まれた干支の守護神で、縁結び、学業成就、安産祈願にご利益があるとか。どうぞ、参拝にお出かけください。
◎取材協力/淵神社(長崎市淵町8-1)