第385号【長崎の洋風建築を見て歩く】

 カーンと晴れた夏空のもと、冷たい麦茶を入れた水筒を片手に、南山手、東山手、大浦地区へ行ってきました。そう、ここは幕末~明治期に外国人居留地として造成されたところ。長崎港を見下ろす丘陵地から海岸にかけて位置し、数々の洋風の建物や石畳、レンガ塀など、居留地時代の佇まいが残り、国の「重要伝統的建造物群保存地区」にも定められています

 

 安政の開国後、自由貿易港として大いに繁栄した長崎。居留地を中心に洋風の建物がどんどん建てられ、明治時代になるとその数は数百棟に及んだとも言われています。しかし、現在この一帯で確認できる洋風の建物は約50棟(「長崎居留地~東山手・南山手重要伝統的建造物群保存マップ~」)。戦後しばらくは、いまよりも残っていたようですが、老朽化や新しいまちづくりなどのために次々に取り壊されていきました。

 

 現在、東山手には活水学院本館、7棟の洋風住宅群、旧英国領事館などの建物があります。南山手にはグラバー邸など複数の洋風住宅を擁したグラバー園があり、大浦天主堂や複数の私邸なども残っています。かなり減ったとはいえ、長崎は函館、横浜、神戸と比べて数は多く、比較的良好な状態で残っているそうです。





 

 ひとくちに洋風の建物といっても、木造をはじめ、石造り、レンガ造りなどがあり、構造も平屋建て、二階建て、三階建てなどさまざまです。東山手、南山手から下った大浦海岸通りには、明治後期のレンガ造りの建物、「旧長崎英国領事館(国指定重要文化財)」がひっそりと佇んでいます。1908(明治40)に造られたこの建物は、上海の英国技師、ウィリアム・コーワンの設計によるもので、地元大浦町の後藤亀太郎が施工。ヴィクトリアン・ゴシックといわれる様式を基調としたもので重厚な雰囲気が漂っていますが、正面両端に設けられた丸窓は、バッチリと付けまつげを施した女性の目のようで、かわいらしくもあります。





 

 旧長崎英国領事館から徒歩2分。大浦海岸通り沿いには1898年(明治31)完成の「旧長崎税関下り松派出所」(現「長崎市べっ甲工芸館」)があります。こじんまりとした平屋建てで、一見日本家屋のようでもありますが、れっきとしたレンガ造りの洋風建築です。半円アーチを描く出入り口、両端の三角破風(はふ)など、甘くないキリッとした表情が素敵です。



 

「旧長崎税関下り松派出所」のそばで、ひときわ大きく華やかな表情で建っているのが「旧上海香港銀行長崎支店」(現・旧上海香港銀行長崎支店記念館)です。

レンガ造りおよび石造りの三階建て。1904年(明治37)竣工。明治期から昭和初期にかけて活躍した異才の建築家、下田菊次郎が設計した国内唯一の遺構でもあります。正面に見える4本の円柱はコリント式と呼ばれる古代ギリシャ建築の建築様式のひとつで、同じ様式のローマのパンテオンを彷彿させます。





 

 明治期に建造された洋風の建物を見ていると、近代化に突き進んだ時代の勢いと同時に、建築に携わった日本の大工さんたちの心意気を感じます。そうした時代のしずくとしてかろうじて残った洋風の建物たち。何度でも足を運びたくなる魅力にあふれていました。

 

◎参考にした資料/「長崎の洋風建築」山口光臣著(長崎市教育委員会)、「長崎居留地~東山手・南山手重要伝統的建造物群保存マップ~」(長崎市教育委員会) 

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