第380号【海を渡ってきた植物(クローバーほか)】
幸せをもたらすといわれる四葉のクローバーを見つけました。小学生の頃、四葉のクローバーを見つけるのが得意な友達がいて、どうしてその子ばかり?と思ったものですが、その理由がいま頃になってわかったような気がします。それは、気持ちの持ち方にありました。見つかるといいなあ、ではなく、必ず見つけたいと思うこと。すると集中力がぐっと増して探す目も細やかになり見逃さないものなのです。東日本大震災で被災されたみなさまに、四葉のクローバーの幸せが届きますように。
春、野原一面に咲くクローバーの白い花。その細長い茎を編んで花輪を作った思い出がある方もいらっしゃることでしょう。クローバーは、牧草や肥料としても利用されるマメ科の植物で、和名を「シロツメクサ(白詰草)」と言います。この名は江戸時代にオランダ船が長崎へガラス製品や医療器などを運び込むとき、壊れないようにクローバーの干し草を「詰めもの」として使ったことに由来するといわれています。
こうした野の花はたくましいもので、種は荷物に紛れ込んだり、風に運ばれるなどしてあちらこちらに広がり繁殖します。長崎から各地へ運ばれた種もきっとあったに違いありません。いま、あなたのそばで咲いているクローバーも、もしかすると江戸時代に海を渡ってきたものの子孫かもしれません。
江戸時代にオランダ船が伝えた植物といえば、ヒマワリ(向日葵)もそのひとつです。北米原産で、16世紀はじめ頃にスペイン人によって種がヨーロッパへ渡り、日本へは17世紀後半頃といわれています。ヒマワリの学名は、「ヘリアントス」といって、「太陽の花」を意味するそうです。英語でも「SUNFLOWER(サンフラワー)」といいますよね。いつも太陽のある方向に花を向けたこの花のイメージは万国共通のようです。
ヒマワリの種は食用にされたり、油をとったりされますが、長崎に渡ってきたときは食用だったのか、観賞用だったのか定かではありません。現代では、放射性物質に汚染された土壌の改良に役立つかもしれないということで注目を浴びています。こんなふうにヒマワリが利用される日がくるとは、江戸時代の人にとってはまったく想像ができないことでしょう。
さて、紫陽花があちらこちらで咲きはじめるこの時季は、長崎の特産品「茂木ビワ」が旬を迎える頃でもあります。「茂木ビワ」は、江戸時代に唐船によって長崎に伝えられました。以来、栽培が続けられ、生産量も日本一を誇ります。甘くみずみずしい果肉は、初夏の到来を実感させる味わい。今年は冬の寒さが厳しかったせいで1週間ほど生育が遅れたようようですが、寒さを乗り越えた分、甘さが増しているそうです。
遥か昔に異国から伝わった花や果実たち。その美しさ、おいしさをそのままに未来へ伝えたいものですね。
◎ 参考にした本/ながさきことはじめ(長崎文献社)