第369号【年末よもやま話(一茶から珍しい鳥居まで)】
週末はいよいよクリスマス。そのあとは、大掃除をしたり、おせち料理をつくったりなど、やるべきことがいろいろ待ち構えています。もうひと頑張りして、大晦日、そして新年を気持ち良く迎えたいものですね。
大晦日を家族揃って過ごす方も多いと思いますが、大晦日の夜から元旦の朝にかけて、家長が神社仏閣に籠って祈願し、新年を迎えるという行事が昔からあって、それを「年籠(としごもり)」というそうです。越年祭とか除夜祭などもそうした類いの行事で、地域によっていろいろなスタイルがあるようです。大晦日を家族揃って起き明かし、初詣にでかけるというのも一種の「年籠」なのでしょう。
1793~94年(寛政5~6)、俳諧修行で長崎を訪れた小林一茶は「君が代やから人も来て年ごもり」という句を残しています。「から人」とは「唐人」のこと。一茶は唐人屋敷のそばに滞在したと伝えられており、おそらくこの界隈に住む中国人と出会い、年を越したのです。一茶は、異国の風情に包まれたまちで迎えた新年に、思わずホームシックにかかったのでしょうか。「初夢に古郷を見て涙哉」という句も残しています。
さて、長崎でもっとも初詣の参拝客が多いといわれるのは、長崎市民の総鎮守、諏訪神社(長崎市上西山)です。新年、いちばん最初に鳥居をくぐるとき、やはりいつもとは違う新鮮な気持ちに包まれます。諏訪神社の参道の階段には5つの鳥居があります。ご近所の方に鳥居にまつわる話をうかがうことができました。
それによると、現在の二の鳥居が、いちばん古いもので(1637年建立)、かつてはこれが一の鳥居だったとか。また、現在の一の鳥居は、戦前までは青銅製でしたが、戦時中の金属供出で撤去され、のちにコンクリートで再建されたそうです。また、一の鳥居のそばにひっそりと残されている欄干は、江戸時代、この辺りにあった橋の欄干なのだそうです。
鳥居といえば、諏訪神社界隈からそう遠くない場所に、2つの珍しい鳥居があります。ひとつは宮地嶽八幡神社(みやじだけはちまんじんじゃ)(長崎市八幡町)の陶器製の鳥居で、1888年(明治21)に奉納されたものです。有田磁器釜で製作されたもので、陶器製というのは全国でもほんの数カ所にしかないそうです。白磁に青色で描かれた文様が美しく、パーツを組み合わせて築かれています。その見事な技に、当時の職人さんたちの腕の良さと熱意が伝わってきます。
宮地嶽八幡神社から、徒歩10分くらいの場所に、かつて龍馬など亀山社中の人々も参拝したかもしれないといわれている、若宮稲荷神社(長崎市伊良林)があります。若宮稲荷神社の朱色の鳥居をくぐって、本殿へ登ると、そのすぐそばに、めずらしい形の柱を持つ鳥居が建っています。
通常、鳥居の柱は丸いのですが、この鳥居は方形なのです。これは、1822年(文政5)に長崎奉行所内の稲荷神社に、当時の長崎奉行である土方出雲守が奉納した鳥居で、明治末期に現在地に移されたとか。建立年から推察するに、長崎奉行所の激動の後半を見届けた鳥居と思われます。なぜ、方形なのかは、わからなかったのが残念。いまは、地域の人しか通らない小道もかねた参道にひっそりと建っています。
本年もご愛読いただき誠にありがとうございました。