第355号【長崎の津々浦々~香焼町(こうやぎちょう)~】

 外洋から長崎港へ入るとき、長崎半島の緑の山並みを背景に、オレンジと白に塗られた巨大なドッグの一部が見えて来ます。これは三菱重工業(株)長崎造船所香焼工場が、世界最大級の規模を誇る通称「100万トンドッグ」(長さ990m、幅100m)。長崎市香焼町を代表する景観のひとつです。




 造船のまちとして知られる香焼町は、長崎駅からバスで30分ほどのところにあります。このまちが、かつては島だったと聞いても、若い世代はなかなかピンときません。香焼町は、もともと長崎港の入口に浮かぶ小さな島で、香焼島と蔭ノ尾島(かげのおじま)の二つの島で構成されていました。昭和17年、海面を埋め立てて一つの島になり、昭和43年に東側対岸の長崎市深堀町との間が埋め立てられ陸続きになったのです。




 そうした埋め立て地は、まちの北東部に位置し、主に造船関連の工業用地として利用されているようです。反対側の南西部は山の緑と青い海に囲まれたのどかな人々の暮らしがあり、香焼町独自の歴史が息づいていました。


 小さな漁港に面したまちの中心部の高台に登ると「香焼山 円福寺(えんぷくじ)」があります。弘法大師の伝説が語り継がれているお寺です。1200年ほど前、弘法大師が乗っていた遣唐使船が暴風に遭い、香焼島に避難。島の岩窟で弘法大師が香を焚いて祈りを捧げたとき、あたりの岩にその香気が染み込んだそうです。この伝説に由来して、「香焼」という地名が生まれたと一説にはいわれています。それとは別に、遠い昔、この地の人々が焼畑農業をしていたことを物語るという「クワヤキ」という言葉が「コウヤギ」に転訛したという説もあるようです。


 江戸時代の香焼島は、鰯漁がとても盛んだったようです。当時は、田畑の肥料として干鰯がよく用いられたとか。香焼島には、現在の佐賀県や山口県、瀬戸内海の各地からも鰯漁や干鰯の商いをする人々がやって来ていたそうです。町内には、そうした人々から寄進された石灯籠(円福寺)や鳥居などが点在。いまはひっそりと島の歴史を物語っていました。




 円福寺から山あいの道路を20分ほど歩いたところに、「香焼総合公園」があります。公園内の展望台は、五島灘を見渡す絶景スポットです。北東に女神大橋の向こうに控える長崎市街地を望み、東に深堀町から長崎半島の稜線を眺め、南西沖には高島、西には伊王島がすぐそばに浮かび、建設中の「伊王島大橋」も見えました。香焼町と伊王島を結ぶこの橋は来年、春の完成をめざしているそうです。




 まちの南側には、かつて炭坑で栄えたところ(安保地区)やペーロン船を浮かべた小さな入り江(尾上地区)がありました。そうそう、香焼町界隈は昔からペーロンの盛んな地域でもあります。「ペーロンの練習の音が聞こえると、もうワクワクしてね。家のことも手に付かなくなるとよ」と話すのは、漁港そばに住むおばあさん。ペーロンのシーズンがはじまって、とてもうれしそうでした。





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