第354号【長崎のまちの新モニュメント】
先週のゴールデンウィークでは、高知や長崎などの龍馬ゆかりの施設が大盛況だったようです。期間中、長崎市亀山社中記念館(亀山社中跡/長崎市伊良林)に足を運んでみると、入場を待つ人々の長い行列がありました。風頭山の中腹にある同記念館。その界隈は民家の間を縫うように、せまい坂段がくねくねと通じています。龍馬の足跡をたどるたくさんの観光客の方々とすれ違いましたが、みなさん、「フウフウ」言いながら坂段を登っていました。ちょっと街はずれの、ちょっとしんどい場所にある亀山社中跡。時代を変えようと秘策を講じた龍馬たちにとっては、好都合の場所だったのかもしれません。
同館へは連休明けに出直すことにして、少し下ったところにある光源寺の墓地へ向かいました。ここには、幕末、洋式軍艦の買い付けのために長崎を訪れていたという二宮又兵衛(宇和島藩士)のお墓があります。真偽のほどは定かではありませんが、一説には亀山社中の運営に一時期関わった人物ともいわれています。中島川にかかる大井手橋あたりで襲撃にあい亡くなったという二宮又兵衛。小さなお墓のそばには、その死を悼んだ同郷の児島惟謙(こじまいけん/明治期の司法官。大津事件で司法権の独立を守った)が建立した碑がありました。
さて、龍馬ブームに沸く長崎。知人から、「最近、長崎の市街地に新しい観光のモニュメントが4カ所もできたらしいわよ」という話を聞きました。その内3カ所は龍馬にまつわるものだとか。さっそく行ってきました。
一つめは、日本初の営業写真館、「上野撮影局」で撮影された龍馬の写真と同じポーズで記念撮影ができるモニュメントです。同撮影局あった長崎市伊勢町の川筋の一角に、当時の写真機と肘置き台が再現されていました。中島川の上流の阿弥陀橋から徒歩2分の場所にあります。
二つめは、蒸気船「夕顔丸」のモニュメント。慶応3年(1967)に土佐藩がイギリス商人から購入した船です。龍馬は、瀬戸内海航行中、この船内で後藤象二郎に「船中八策」を提案したといわれています。モニュメントは、かつて土佐商会が置かれた、浜町アーケード入り口にあります。
三つ目は、「お龍さんと月琴」の像。龍馬との新婚旅行とあと、半年ほど長崎に滞在したお龍さんは、龍馬の同志、小曽根英四郎の家に身を寄せていました。小曽根家の当主、乾堂は長崎を代表する文人で、中国由来の楽器「月琴」を嗜んでいたとか。異国情緒あふれるその音色にひかれたのか、お龍さんも月琴の練習に励んだそうです。モニュメントは、小曽根邸跡の碑(長崎市興善町長崎地方法務局前)のそばにあります。
四つ目は、近代活版印刷の創始者、本木昌造にちなんだもので、当時の鉛製の活字を用いてデザインされたモダンなモニュメントです。「お龍さんと月琴」の像と同じ興善町(消防局裏)にあります。もともとオランダ通詞だった本木昌造は、幕末から明治にかけて製鉄所の主任も勤め、土佐商会があったすぐ近くに日本初の鉄橋をかけています。龍馬との接点は特にないようですが、長崎でのニアミスはあったかもしれません。