第338号【長崎に伝わる河童の話】

 夏休みの間、眼鏡橋など石橋群で知られる中島川では、子供たちが川面に降りて遊んでる姿をよく見かけました。無邪気にはしゃぐ様子を眺めていて、ふと思い出したのが、「河童」の話です。日が暮れるまで川や池で遊んでいると、大人たちに「河童が出るぞ」なんていわれ、早く家に帰るよう注意されたものです。そんな思い出、皆さんもありませんか?




 頭の頂きにお皿があって、口は鳥のようにとがっていて、背中には亀のような甲羅がついている。河童と聞いて想像する姿は、きっとこんな感じではないでしょうか。河童に関する話は、全国各地にあるといわれ、その土地特有のむかし話となって今に語り継がれているようです。そこに登場する河童たちは、いたずら好きで人を困らせるかと思えば、貧しい家に食べ物を届けるなどの優しい面もあったりなど、善にも悪にも語られます。それは、まるで人間の姿を河童という不思議な生き物に置きかえているかのようです。


 さて、長崎にも河童にまつわるものがいろいろあります。長崎の諏訪神社には、河童の姿の狛犬がいますし、中島川の阿弥陀橋の近くには、中島川河童洞というお堂があり、あぐらをかいた河童の像などが祀られています。眼鏡橋のひとつ下流にかかる袋橋そばには子クジラに乗った河童像もあります。また、中島川では戦前まで、河童祭りとも呼ばれた水神祭が行われていたそうで、その祭の由来というのが、次のような話でした。




 江戸時代は享保(1716~1736)の頃。川にごみを捨てる者が増えていました。ちょうどその頃、地元の水神神社には河童が毎晩のように訪れて、門を叩いたり、小石を投げたりなどのいたずらが続きました。神社の神主さんは、きっと、川が汚れて河童たちが住みづらくなったことを訴えているのだと考え、川を清掃し、長崎奉行所にも願い出て、川に物を捨てないようにおふれを出してもらったそうです。すると、河童たちのいたずらはピタリと止み、それ以降、毎年水神祭を行って河童たちをなぐさめたということです。




 もうひとつ、いかにも長崎らしい話があります。これも江戸時代の話で、つみ荷を満載にしたオランダ船が、いよいよイカリを上げて長崎港から出航しようとしましたが、イカリがとても重くて、上げることができません。驚いたオランダ人は、奉行所の役人に頼んで、水中の様子を見てもらいました。すると、10匹ほどの河童たちがイカリの上に座っていたとか。このままでは、河童たちに船まで沈められてしまうかもしれないと、水神神社の神主さんに何とかしてもらうよう頼みに行きました。神主さんは、お酒を飲んで酔っぱらっていましたが、何とか、オランダ船のところまで連れてきました。そこで神主さんは河童たちにイカリを放すよう一喝。すると、イカリがひとりでに上がってきて、オランダ船は無事に長崎港を出航できたということです。めでたし、めでたし。




 2つの話に登場する水神神社の神主さんは、河童たちの総元締的存在です。水神神社は、中島川界隈の町を何カ所か移転し、現在、上流の本河内というところにあります。なぜ、河童たちが神主さんのいうことなら聞き入れるのか、その理由は、「読みがたり 長崎のむかし話」(編著者:長崎県小学校教育研究会国語部)の中の「カッパ石」の話を読むとわかります。興味のある方はぜひ、ご一読ください。





◎参考にした本/「読みがたり 長崎のむかし話」((株)日本標準)、河童伝承大事典(和田寛)、長崎事典~歴史編~(長崎文献社)

検索