第330号【浦上街道を歩く(1)(西坂~緑町)】
長崎の街角では紫陽花たちが固いつぼみを見せはじめました。もう半月ほど経てば、梅雨の訪れとともに満開の季節を迎えます。シーボルトゆかりのこの花は、長崎市民にたいへん親しまれ、あちらこちらに植えられています。紫陽花が咲き誇る長崎へ、お出かけの計画を立ててみませんか?
さて、薫風が吹き抜ける5月の休日、浦上街道の散策を楽しんできました。長崎駅にほど近い場所にスタート地点があるこの街道は、約440年前(室町時代末期)、長崎がポルトガルとの貿易港として開港した頃に整備されたとか。長崎から浦上~時津~彼杵(そのぎ)を結ぶ街道で、長崎と江戸や大阪などを結ぶ長崎街道の一部をなす最も古いコースだといわれています。
そもそも長崎街道といえば、長崎から東に出て日見峠を越え、矢上、諫早、大村、松原、彼杵、そして嬉野へ…と続くコースがよく知られています。しかし、これは江戸時代中期頃から主流になったコース。それまでは、浦上街道が主に利用されていたそうです。その道のりは長崎から北上し、時津の港まで3里(約12km)、そこから舟で大村湾を7里(約28km)渡って彼杵へ。そして、お隣の佐賀領へ入ったのです。
大村湾という海の道を行くのが浦上街道の大きな特徴です。しかし、舟の運行は天候に左右されやすく、旅の予定にも大きく影響するため、しだいに陸路の日見峠のコースが主流になっていったのだそうです。
浦上街道の散策は、日本二十六聖人殉教地(西坂公園)のそばにある「長崎浦上街道ここに始まる」の碑の前からスタートし、西坂町~御船蔵町~天神町~銭座町~緑町と5つの町を横断する街道筋をゆっくり1時間ほどかけて歩きました。普通に歩けば30分ほどで行ける距離です。
街道は少し高台にあり、左手を見下ろすと路面電車が走る幹線道路がほぼ平行に通っています。道幅は1~2メートルほどで街道沿いには家々が軒を連ねていました。小さな起伏を繰り返しながらさらに高台へと続く道のり。運動不足の人には少しきついかもしれません。
遠くに稲佐山、そして市街地も見渡す街道筋。いまは建物にさえぎられていますが、かつては相当景色が良かったはず。この辺りは、明治以降の埋め立てですっかり景色が変っています。江戸時代は近くまで海が迫っていたそうです。街道筋には、海際で見られるような岩肌が、ところどころであらわになっていました。
今回は、のんびりとした散策だからこそ気付いた景色や歴史がいろいろありました。昭和天皇お手植えのクスノキ(西坂公園の端)、筒抜けになった西坂教会の入り口から見える福済寺の大きな観音様、街道筋ならではの供養塔やお地蔵さま、眼病にご利益があるといわれる生目神社、浦上街道に面した位置に建つ聖徳寺(江戸時代、浦上地区の住民を檀家としていたが浦上4番くずれで約600戸余りの檀家を失ったという)…。
かつて多くの旅人が往来した浦上街道。キリスト教の弾圧がはじまった秀吉の時代には26聖人(1597年)が通りました。また、江戸時代には出島のオランダ商館医ケンペルが江戸参府の際に利用し、また蘭学者で洋画家でもある司馬紅漢もこの街道から長崎入りしたといわれています。
今回、緑町まで歩いた浦上街道は、このあと浦上地区へ入ります。そのレポートは夏頃お届けします。
◎ 参考にした本/長崎の史跡・北部編、長崎の史跡・街道(長崎市立博物館)