第326号【出島に漂うコーヒーの香り】
やはり今年は、全国的に桜の開花が早まるらしいですね。近所にある桜の前を通るたびに、つぼみの様子を観察している人も多いのではないでしょうか。ここ数年、長崎では3月下旬に開花、見頃を迎えることも多くなったような気がします。これから先、九州のように温かな地域では、桜は入学式ではなく卒業式シーズンの花になりつつあるのかもしれません。
さて、今回は見目麗しい桜ではなく、香り高きコーヒーのお話です。コーヒーが日本に伝えられたのは江戸時代(おそらく元禄期の1700年前後)、オランダ人によって出島に持ち込まれたのが最初であろうと言われています。出島のカピタン(オランダ商館長)と仕事柄、接触のあったオランダ通詞(通訳)は、ときおりコーヒーをいただいて飲んでいたそうです。
現在、出島は、19世紀初頭の建物や室内が復元されていますが、商館員らが過ごしたという部屋を見てまわると、必ず部屋の小さなテーブルにカップ&ソーサー、そしてポットが置いてあります。当時のオランダ人たちがどれくらいの頻度でコーヒーを飲んでいたのかわかりませんが、その調度品や器を見る限り、日常的にいれたてのコーヒーなり、お茶を楽しんでいたのだろうと想像します。その器類は、たいへん洗練されたデザインで、彼らがコーヒーブレイク(またはティータイム)を大切にしていたことが伝わってくるようです。
ずいぶん前、地元の美術館で、司馬江漢(しばこうかん)が作ったというコーヒーミルを見たことがあります。たしか「阿蘭陀茶臼」と紹介してあり、現在の手回し式のミルとほとんど変わらない姿でした。司馬江漢は江戸後期の洋風画家。18世紀も終わり頃、知り合いのオランダ通詞宅にあったコーヒーミルをまねしてつくったものなのだそうです。
江戸時代のコーヒーにまつわる話でよく語られるのは、文化元年(1804)、長崎奉行所の勘定役として江戸から赴任した太田南畝(おおたなんぽ)のエピソードです。彼は当時の狂歌師、蜀山人としても知られる人物。彼が著した「瓊浦又綴(けいほゆうてつ)」に、長崎でコーヒーを飲んだ際の感想が次のように述べられています。[紅毛船にて「カウヒイというものを勧む」豆を黒く炒りて粉にし白糖を和したるもの也。焦げくさくして味ふに堪ず]。子どもの頃、大人たちのカップから初めてブラックコーヒーを飲み、蜀山人と同じ思いをした人もいらっしゃるのではないでしょうか。
ところで、コーヒーはアフリカのエチオピアが原産地といわれていますが、人間がどんなきっかけで、いつ頃飲みはじめたのかは諸説あり定かではありません。10世紀頃には、アラビア人たちの間で民間薬として飲まれていたそうで、その後、イスラム教諸国を経て、17世紀にヨーロッパ各地に広がっています。オランダ東インド会社(出島のオランダ人らが所属する会社)は、17世紀末には、ジャワ島などへコーヒーの移植栽培を成功させており、日本にコーヒーを伝えたとされる時期とも重なります。日本では、当初薬用として一部の人の間で飲まれるだけでした。一般に広く飲まれるようになったのは明治に入ってからだそうです。
◎ 参考にした本/長崎の西洋料理~洋食のあけぼの~(越中哲也)、コーヒーの歴史(マーク・ペンダーグラスト)、コーヒー~最高の一杯COFFEE BOOK~(嘉茂明宏)