第322号【長崎ことはじめ(東山手~南山手)】

 1月15日を中心としたこの時期は「小正月」と呼ばれ、1年の邪気を払う行事として小豆粥を食べる地域もあります。江戸時代の長崎でも、小豆と供えていた餅を割り入れた粥を炊いて食べていたようですが、現代、そうした家庭はずいぶん少なくなったようです。小豆もお餅も食べると不思議に力がわきます。小豆粥は、もっとも寒いこの時期を乗り切るための先人達の知恵だったのでしょう。


 さて、今年最初のテーマはお正月らしく「ことはじめ」にちなんだ記念碑をご紹介します。これまで当コラムでもずいぶん取り上げてきましたが、長崎には「日本で最初」といったものがたくさんあります。街角にはそういった記念碑が各所に設けられているのですが、意外に見過ごされているようです。無言でひっそりと建つ「碑」そのものは地味ですが、観光地におけるゆるぎない記念撮影スポットであることに変わりありません。訪ね歩けば、「あら、こんなところに!」「やっと見つけた!」といった小さな感動ももれなく付いてきます。




 今回は、観光客の皆さんがよく訪れる東山手、南山手界隈からピックアップしました。ひとつめは「近代塗装伝来の碑」。新地中華街そば湊公園内の一角にあります。碑文には、「わが国における本格的なペイント塗装は幕末より明治初年にかけて導入された洋風建築にはじまっているが、長崎出島のオランダ屋敷内では18世紀中頃すでに一部の建物にペイント塗装が行われていた。…」とあります。碑を建立したのは日本塗装工業会九州支部連合会とあります。なるほど、この碑は知る人ぞ知る、けっこうマニアックな碑といえるかもしれません。




 湊公園からほど近い「大浦海岸通り」一帯は、かつて外国人居留地だったこともあり、「日本初」に限らず、近代日本の歴史を刻んだ碑が特に多い地域といえます。「我が国鉄道発祥の地」と刻まれた碑もそのひとつです。慶応元年(1865、英国人貿易商トーマス・グラバーが、この海岸沿いに数百メートルのレールを敷き蒸気機関車を試走させたことを記念した碑で、碑文によると、このアイアン・デューク(鉄の公爵)号という英国製の蒸気機関車は、日本の近代化まで牽引したとありました。機関車ファンならずとも、日本ではじめてレールが敷かれたこの海岸沿いを一度は訪れてほしいです。




 この「大浦海岸通り」から徒歩数分でグラバー園のふもとへ出ます。お土産屋さんが連なる坂の下にある「ホテル」の前に、「わが国ボウリング発祥の地」という比較的新しい碑が建っています。ボウリングのピンとボールが型抜きになったおしゃれな碑で、平成15年(2003)に日本ボウリング場協会によって建立されたものです。説明文によると、日本最古のボウリング場「インターナショナル・ボウリング・サロン」が幕末の文久元年(1861)6月22日にここ大浦に開業されたとありました。当時、新装開店を告げる新聞広告も、日本で初めての英字新聞「ザ・ナガサキ・リスト・アンド・アドバタイザー」に掲載されたそうです。




 ちなみにボウリング発祥の碑は、いつ頃からのものかわかりませんが、もうひとつ古いタイプが、「ホテル」横の坂道のお土産屋さんの一角に残っています。この「ホテル」の前には、ほかにも「国際電信発祥の地」「長崎電信創業の地」といった、ことはじめの碑が建立されています。幕末・明治期、この一帯はある意味、磁場のような存在となって、時代のうねりを生み出していたのかもしれません。






 本年もいろんな視点で長崎の魅力を発信したいと思っています。どうぞよろしくお願い申し上げます。


◎参考にした本/長崎事典~風俗文化編~(長崎文献社)

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