第320号【天草のキリシタン文化を訪ねて(2)】

 赤と緑のクリスマスカラーが目立ちはじめた街角。忘年会やパーティーの季節ですね。自慢の手料理でいつも仲間をもてなしてくれる友人が、「人が集うときのいちばんのごちそうは、『会話』なのよ」と言っていました。この冬のみなさんのさまざまな集いが、温かく楽しいものでありますように。


 さて、先週に引き続き「天草史跡見学会」の後編です。一行は、天草下島をさらに南下し、山あいにある大江天主堂(天草市天草町大江)を訪れました。大江はキリシタンの里のひとつで、人々は厳しい迫害の時代もひそかに信仰を守り続け、明治になって信仰の自由が得られると、いちはやく教会を建てました。現在の白い教会は、昭和8年にフランス人のガルニエ神父が私財を投じて建てたもの。五足の靴の一行は、天草弁を話すこの神父に温かく迎えられたといいます。大江天主堂のそばには、「天草ロザリオ館」があり、かつてのキリシタンの暮らしや信仰の様子を伝える遺品や資料が展示されていました。




 大江をあとにして海沿いのルートを辿ると、ここもキリシタンの里である崎津に出ました。波静かな湾のほとりに建ち並ぶ民家。その路地裏を歩くと突如として、ゴシック様式の崎津天主堂(天草市河浦町崎津)が現れます。明治以降、教会は3度建て直されており、現在の教会は昭和9年に建造されました。禁教の時代、この場所には庄屋があり、毎年踏み絵が行われていたそうです。ちなみに、長崎の浦上天主堂も踏み絵が行われた庄屋跡に建てられています。




 昼食は島の小さな旅館でいただきました。野菜や魚介類など新鮮な地元の食材を使い、手間ひまをかけて作ってくれたごちそうです。天草の郷土料理、「せんだご汁」もありました。これは、宣教師が伝えたといわれる料理で、野菜の旨味がたっぷりのコクのある汁に、モチモチとしたのジャガイモの団子が入っています。長崎にはありそうで、ない料理です。地元の海で採れる緋扇貝(ひおうぎがい)の刺身もいただきました。オレンジや黄、紫のカラフルな貝殻で、ホタテ貝のような味わいでした。






 ところで前回、地理的にも近い天草と長崎は何かとゆかりがあるという話をしましたが、江戸時代初めに起きた天草・島原の乱以後、天草は天領になりますが、同じく天領であった長崎とは、往来がしやすかったという話を聞きました。また、天草はもともと肥後国(熊本)ですが、明治に入ると一時期、長崎府や長崎県の管轄に入ったこともあったそうです。


 一行は「天草コレジオ館」(天草市河浦町)を訪れました。「コレジオ」とは英語で言う「カレッジ」のこと。16世紀末、宣教師養成を目的とした神学校の最高学府「天草コレジオ」が、この地にあったといわれ、印刷や音楽など当時のヨーロッパの進んだ技術や文化も伝えたそうです。天正遣欧使節の伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノ、中浦ジュリアンも、帰国後の数年間、ここで学んでいます。館内には、当時もたらされた印刷機や西洋楽器などが展示されていました。


 このあと、天草市本渡地区へ移動し、天草四郎率いる一揆軍の軍旗として使用された「天草四郎陣中旗」(国の重要文化財)を展示した「天草切支丹館」、45脚もの角柱で支えられた珍しいアーチ型石橋「祇園橋」、勝海舟が二度訪れ、本堂の柱に落書きした跡が残っている「鎮道寺」なども見学。小さな島ですが、一日では巡れないほど見どころが多彩。長崎と似ているけどちょっと違う雰囲気を感じるキリシタンの歴史を振り返りながら、再び船に乗り帰路についたのでありました。





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