第310号【涼あり、歴史あり、小島川】
7月はじめは山開きや海開きのシーズン。テレビやラジオでそんな情報を見聞きするたびに、夏休みが待ち遠しくなります。さて、今回は、梅雨の晴れ間を利用して、長崎市街地を流れる小島川沿いを散策。夏のレジャーに先駆けて、小さな涼と長崎の歴史を楽しんできました。
長崎市の繁華街・浜町の東の先に小さくそびえる愛宕山(あたごやま:230m)。小島川はその麓を流れ、長崎港へと注ぐ川です。石橋群のかかる中島川とは違い、地元以外ではあまり知られていませんが、川底は岩があらわで、ところどころで樹木や草が生い茂り、流水も意外にきれい。市街地を流れる川にしては、まだまだ自然な風情が楽しめる川です。
散策のスタート地点は上流の「愛宕」地区。ここは、浜町から20~30分ほど歩いていける高台の住宅街です。長崎駅からだと、茂木や風頭方面へ向かうバスに乗って「愛宕バス停」で下車(所要時間:約15分)。このバス停付近から、愛宕山の麓のゆるやかな谷間に民家がぎっしりと建ち並んだ風景と、右手に、谷間の南側斜面を形成している小島地区の丘が見渡せます。
小島川沿いを浜町方面へどんどん下っていく散策ルートの終点は、川が暗渠となる「正覚寺下電停」。所要時間はのんびり歩いて30~40分ほどです。このルートで確認できた橋は、上流から「1、愛宕橋」「2、花やしき橋」「3、東川平橋」「4、小島橋」「5、ひさぎ橋」「6、桃源橋」「7、千畳橋」「8、高平橋」「9、鳴川橋」「10、新玉橋」と、計10本(私設らしき橋は除く)。たいていの橋がコンクリート造りで、石橋のような風情こそないものの、昭和の時代の懐かしさが感じられました。ちなみに、かつて「正覚寺下電停」のところには、「玉帯橋」があり、そのすぐ下流に「思案橋」が架かっていました。
小島川が流れる地域が、今のような住宅密集地になったのは戦後で、それまでは、清水が流れ水車が点在する緑豊かな地域だったとか。10本の橋をたどりながら川沿いを歩けば、ときおり川面からひんやりとした風が吹いてきて、気持ちがいいのです。また、この界隈には、長崎の歴史にまつわる話や史跡もいろいろあり、それも散策を楽しくさせます。たとえば、愛宕バス停から道路下に降りたところにある「2、花やしき橋」。華やかな橋の名の由来は、大正時代に活躍した長崎の実業家、永見徳太郎氏の別荘がこの近くにあったことに関係がありました。その別荘は、もとは「花やしき」と呼ばれた料亭を買い取ったものだったそうです。
「3、東川平橋」付近は、かつて薩摩藩の御用達であった服部氏の別宅があったといわれるところで、現在は、企業のアパートになっています。ここは小島の丘を通る茂木街道にほど近い場所にあります。茂木街道といえば、長崎から鹿児島へつながる重要な街道。服部氏の別宅は、鉄砲や弾薬といった当時の武器を密かに買い集め、薩摩に送っていたらしいという話が伝えられています。そして、この近くの小島の丘の一角にある「白糸の滝」付近にも、薩摩藩の要人の住まいがあったと伝えられています。どうやら、薩摩藩とのかかわりがいろいろありそうな地域のようです。また、この界隈には小説「お菊さん」を書いたフランスの文豪ピエール・ロチが長崎の娘お菊さん出合った茶屋「百花園」もありました。
さらに川を下って「5、ひさぎ橋」。そのたもとに井戸の跡が残っています。江戸時代、この井戸から湧き出る水が、出島のオランダ屋敷までひかれていたそうで、「オランダ井戸」とも呼ばれていました。続いて、小島小学校の裏に架かる「6、桃源橋」。これは、小学校専用の橋。昔は、このあたりの川で子供たちが釣りや水遊びをのびのびと楽しんでいたそうです。
まだまだ見どころ多彩な小島川沿い。観光スポットではありませんが、そこは長崎、の知られざる歴史の宝庫のようです。また別の機会に、あらためてご紹介したいと思います。
◎ 取材協力/長崎歴史文化協会
◎ 参考にした資料/「愛宕町から小島川を下る」B4プリント(長崎史談会/川崎道利)