第304号【変わりゆく長崎港界隈】
「長崎は、いい感じに発展してますね」。十数年ぶりに長崎に帰省した関東在住の友人が、長崎港界隈の散策をひとりで楽しんだ後、開口一番に発した言葉です。友人の記憶では、この辺りは古い建物などで視界がさえぎられ、もっと雑然としていたといいます。それが今や、のびやかな視界で港の景色が楽しめ、芝生でのんびりできる公園やモダンな美術館もあって、人々が楽しそうに行き交っている。友人は、故郷のうれしい変貌ぶりに心を動かされたようでした。
長崎港周辺はここ15年ほどで大きく変わりました。埋め立てによる新しい土地、新しい商業施設、新しい道路などが次々に誕生。こうして日々、新しい港町・長崎の表情が築かれていく一方で、ちゃんと古き良き長崎港界隈の魅力も残されています。今回は、そんな場所をいくつかご紹介します。
長崎駅から、稲佐山を右手に長崎港へ向かうとすぐに、波止場の方へまっすぐに伸びる「元船遊歩道」があります。この遊歩道は、昭和5年に長崎駅から出島岸壁まで延長された鉄道(臨港線)の跡を利用したもので、長崎上海航路(大正12年~昭和18年まで日華連絡船が就航)を利用する大勢の旅客を運んだ歴史を今に伝えています。この歩道のそばには新しい道路(都市計画道路浦上川線。この3月末に一部開通)ができ、これまでとは違った港湾の景色が広がっています。その景観を楽しむなら、巨大なオレンジの玉が目印の「ドラゴンプロムナード」がおすすめです。
「ドラゴンプロムナード」のそばには、地元の人々が「鉄砲玉(てっぽんたま)」と呼んでいる大きな鉄玉(全周約175センチ、直径約55.7センチ)があります。島原の乱のとき造られたという説がありますが、由来は定かではありません。この界隈を転々としながら、現在の場所に落ち着いています。小さい頃、鉄砲玉の上によじのぼって遊んだという70代の女性によると、鉄砲玉は見た目より軽く、中は空洞かもしれないとか。しかも江戸時代から存在しながら、長崎市指定有形文化財になったのは昨年のことだといいます。興味深い話がまだまだありそうなこの鉄砲玉については、いずれあらためてご紹介したいと思います。
「鉄砲玉」から徒歩3分のところに「長崎港ターミナル」があります。高島、伊王島、五島などへの定期航路のほか、長崎港遊覧船や軍艦島周遊の船もここから出ています。船着き場には、本来の役目を終えた大きな赤いアンカー(錨)が設置されています。これは大正時代、大型船をつなぐ係船ブイを固定するため港内に投入されていたもの。当時の長崎港には、日華連絡船をはじめオーストラリアやフィリピン、北米方面等の連絡船も寄港しており、このアンカーも名立たる大型船舶を係船したことでしょう。現在は陸上で、船舶の安全を見守っています。
さらに港湾沿いを進むと、かつての臨港線の「長崎港駅」があった中島川河口付近に出ます。そこには臨港線を記念する「レールと車輪」があり、そばには長崎港の歴史が書かれた本型の説明板があります。同型の説明板が他2ケ所、この界隈にありますので探して読んでみませんか。ちょっとした長崎港通になれるかもしれません。
出島岸壁沿いに出ると、飲食店が軒を連ね「出島ワーフ」があり、港の景色を楽しみながら食事ができます。そばには平成17年にオープンした「長崎県美術館」、そして運河が流れる「長崎水辺の森公園」があり、広々とした芝生の上や波打ち際で人々が思い思いに楽しんでいる姿がありました。1571年の開港以来、長崎港は西洋との唯一の窓口や海路の重要ポイントといった特別な役割を担った時代を経て、ようやく今、すべての人々に開かれ、その日常とともにある親しい存在になれたのかもしれません。
◎ 参考にした資料など/ながさきの空~「大波止の鉄玉」の紹介~(十八銀行)、各所の案内板