第301号【シーボルトも往来した、鳴滝界隈を歩く】
もうすぐ3月。卒業式のシーズンです。街角で花束を手にした卒業生を見かけたり、卒業式のシーンがニュースで流れるたびに、学校が懐かしくなる方も多いのではないでしょうか。当時は嫌いだった授業や先生も、時が経つほどにクスッと笑える思い出になるから不思議ですね。
「卒業」は人生の大きな節目。春休みを利用して、友達やご家族と思い出づくりの旅行を楽しむ方も多いようです。長崎でも毎年そのような旅行者の姿をよく見かけます。長崎はのどかな自然や異国情緒を楽しむと同時に、この街が近代日本の発展に大きな役割を果たしたことや平和の大切さについて学べるところです。進学や就職で新しい生活がはじまる前に、見たり、触れたり、聞いたりしてほしいことが山ほどあります。春の旅行はぜひ、長崎へお越しくださいませ。
長崎市中心部の観光は、路面電車を利用してめぐるのが定番です。今回、ご紹介する鳴滝地区へは、長崎駅から「螢茶屋」行きの路面電車に乗って、「新中川町電停」で下車します。この電停は観光スポットのひとつ「シーボルト記念館」(長崎市鳴滝2丁目7―40)をめざす旅行者がよく利用するところです。どなたも電車を降りると脇目もふらずに「シーボルト記念館」へ向かうようですが、せっかくですから、その道すがらちょっと寄り道をして、閑静な鳴滝界隈を味わってもらえたらなあと思うのです。
「新中川町電停」の陸橋を北側へ降りると「丸川公園」があります。ここには「長崎港開先覚者之碑」があり、大村純忠の時代までさかのぼる港町長崎の創成期の歴史が刻まれています。その当時、長崎の中心地だったのがこの一帯でした。公園近くにある桜馬場中学校は、かつて長崎を治めた長崎氏の館の跡地です。
「丸川公園」から川筋に沿って少し歩くと、小ぶりのアーチを描いた石橋、「古橋」が見えてきます。中島川の支流に架かるこの橋は、承応3年(1654)に架けられた文字通り、古~い橋。長崎街道筋にあり、当時の旅人の姿を想像させる風情ある佇まいです。
古橋を後にして、石畳の「シーボルト通り」を抜けると、大きな自然岩があらわになった「鳴滝川」に出ます。ふだんは水量が少ないのですが、雨の後など、ザーザーと滝のような迫力のある流れが見られます。一説にはそんな景色から、第23代長崎奉行の牛込忠左衛門(うしごめ ちゅうざえもん)が「鳴滝」と命名したと伝えられています。鳴滝川の岩のひとつには、「鳴瀧」の文字が刻まれていて、これは文学を好んだ牛込忠左衛門と交流のあった林道栄(りん どうえい:大通事・書家)の書だと言われています。ちなみに「鳴滝」は、その昔、「平堰(ひらいで)」と呼ばれる田園地帯で、川の水はたいそう清く、その両岸には桃の木が並び、江戸時代には長崎を代表する景色のひとつだったとか。のちに長崎にやってくるシーボルトもその美しい光景を愛でたに違いありません。
鳴滝川の自然岩から徒歩3分で、「シーボルト記念館」に到着です。現在、開催中の「シーボルトと中国文化展」(~平成20年3月9日まで)では、清時代の煎茶道具や色絵皿などの他、シーボルト妻子像螺鈿合子(国重要文化財)が展示されています。平成20年3月19日から4月下旬までは、ミニ企画展「長崎今昔展」が開催されます。鳴滝周辺の史跡や江戸時代の長崎の市民生活を紹介する絵図などが展示される予定です。どうぞ、お見逃しなく。
「シーボルト記念館」を出たあとは、背後の裏山に登る石段を上がってみましょう。竹林や畑の脇を抜け、ほんの数分がんばれば「鳴滝」を見渡す高台に出ることができます。山の傾斜に家々がびっしりと建ち並ぶ長崎らしい光景が楽しめます。
かつてシーボルトやその門下生らが往来した「鳴滝」。この地区には他にも、石の表面に琴の線のような筋が入った「琴石」や長崎でもっとも古いといわれる赤地蔵(高林寺)もあります。「シーボルト記念館」とともに界隈の散策もお楽しみ下さい。
◎ 参考にした本/長崎事典~風俗・文化編~、長崎事典~歴史編~(長崎文献社)
◎取材協力/シーボルト記念館 TEL 095-823-0707