第300号【大切にしたい年中行事~長崎の節分編~】

 約2週間にわたる長丁場のお祭り「2008長崎ランタンフェスティバル」も半ばに入りました(~2/21迄)。連日、ランタンのあたたかな灯りを求めて、大勢の人々が街へ繰り出しています。まだお出かけでない方は、ぜひ、足を運んでみてください。


 前回コラムでもご紹介しましたが、「長崎ランタンフェスティバル」は旧暦の新年で春の到来を祝うお祭りです。2月は、ほかにも「節分」(3日)、「立春」(4日)と、春がはじまる時期ならではの行事や節気が続きます。「節分」のように季節ごとに行われる古くからの年中行事は、もともと自然を畏れ、その恵みに感謝して生活していた昔の人々が行ってきたもので、現代まで脈々と受け継がれてきました。そこには、自然の移り変わりに注意深くあった、いにしえの人々の生活のリズムが刻まれています。


 たとえば、春の「節分」の場合、旧暦でいうと「大晦日」に当たるということで、その年の厄をはらって新年を迎えるための行事が行われます。その代表的なものが「豆撒き」です。私たちはついつい豆を食べることに夢中になりがちですが、悪い鬼をはらって一年の無病息災を祈ることを忘れてはなりません。ちなみに「節分の豆撒き」のルーツは奈良時代に中国から日本の宮中に伝わった「追儺(ついな)」という行事で、鬼(禍い)を払う大晦日の儀式だそうです。


 ときは現代、「節分」の日に寺社で行われる「豆撒き」や「火焼神事(ほやきしんじ)」は、昭和の時代とあまり変わらな光景で、懐かしさや安らぎを感じる方も多いのではないでしょうか。江戸時代、長崎街道へ出る人たちが旅の安全を祈願したという桜馬場天満宮では、夕刻になると小さな境内にご近所の方々が次々にやってきて、参拝。神札や正月飾りなどが次々に焚き上げられる炎で暖をとる人や、お神酒をうれしそうに飲み干すお年寄りや会社帰りのサラリーマン、境内ではしゃぐ子供たちと、何だかほのぼのとした人々の様子が印象的でした。




 長崎市民の総鎮守・諏訪神社は、さすがにたいへんな人出で大賑わいでした。ここでは、「豆撒き」をする年男・年女の参加者数が例年より増えたという話を小耳にはさみました。厄払いや、定年後の契機づけにと団塊世代の参加者が増えたのでしょうか?それとも、伝統行事が見直されているから?いろいろ理由が想像されます。




 唐寺・興福寺(こうふくじ)では、「長崎ランタンフェスティバル」の装飾がほどこされた本堂・大雄宝殿の前で、「豆撒き」が行われていました。おおらかでのびやかな雰囲気は、やはり唐寺ならでは。長崎でしか見られない光景です。




 ところで、節分の行事食ですが、以前は見られなかった「恵方巻(えほうまき)」が、ここ数年、長崎でも出回るようになりました。これは、もともと大阪の商人が商売繁昌を願ってはじめたものだとか。長崎の節分料理で代表的なのは、お金にあやかるとした「金頭(かながしら)の煮付け」、赤大根をたくましい鬼の腕に見立てたという「赤大根のなます」があります。他にも「尺八イカの煮付け」(お腹にお米などをつめて煮たもので、蓄えを意味する)や「鯨の百尋(ひゃくひろ)」(鯨は海の魔をはらうとされたこと、また鯨のように大きくという意味で)の酢のものや和えものなどがあります。






 節分の行事や食を通して、人が明日の健康や幸せを願う気持ちはいつの時代も変わらないものだとあらためて思い知らされます。こうした年中行事には、人の根っこにつながるとても大切なものが秘められているようです


◎ 参考にした本/日本大歳時記~冬~(講談社)、家族で楽しむ歳時記・にほんの行事(池田書店)、長崎事典~風俗・文化編~(長崎文献社)

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