第283号【懐かしくて誠実な長崎アイス】
風も日射しも初夏ならではのさわやかさ。長崎では、早咲きのアジサイたちが、街角を彩りはじめました。だんだんと暑くなってくるこれからは、冷たいアイスの季節でもあります。今回は、長崎のとっておきのアイスをご紹介します。それは、半世紀のロングセラーを誇るニューヨーク堂の「長崎アイス」です。モナカの皮に、ほどよい甘さのアイスクリームをはさんだもので、どこか郷愁を誘うシンプルな姿と味わいが魅力です。地元では親子三代のファンもめずらしくありません。
モナカにはさまれたアイスクリームは、生乳100%ならではの風味とコクがあります。最近の市販のアイスクリームは、空気を多く含ませ、軽い食感が多いようですが、「長崎アイス」の方はぎゅっと詰まって食べごたえがあるのが特長です。
ニューヨーク堂の「長崎アイス」は、創業以来、作り手の目が行き届く範囲の製造に徹しています。大手メーカーのように大量生産、全国展開をしておらず、店頭で買い求める場合には、「ニューヨーク堂」本店以外では、長崎市内の一部のスーパーなどでしか手に入りません。遠方の方は、冷凍便でお取り寄せをしているそうです。
ニューヨーク堂は、今年で創業70周年の老舗洋菓子店です。長崎市の中心市街地・浜町のお隣にある「中通り商店街」の一角にあります。ところで、なぜ、長崎のお店なのにニューヨークなの?と思われた方もいらっしゃることでしょう。洋菓子職人歴50年のニューヨーク堂社長・松本豊晴さんに伺ってみました。
「創業者の父(松本兼松氏)が若い頃の話です。冒険心があったのでしょう、大正元年17才の頃に、仲間と長崎から外国へ渡る船に乗り込んでイギリスに渡ったそうです。無事に着いたのは良かったのですが、当時のイギリスは不況で仕事がなかった。一年後、職を求めてアメリカに渡りました。それから約2週間、公園で野宿をしていた所を、日本の大使館員に保護されたそうです。父は運のいい人で、大使館を通じてゼネラル・モーターズ(GM)の会長の自邸でお抱えのコックとして働くことになったのです」。
「ニューヨークでは、一緒にアメリカに渡った仲間たちは、働いたお金をお酒などに費やしていたそうです。酒が飲めず、根が真面目であった父は、ほとんどの給与をニューヨークの東京銀行支店に貯めました。そして仲間の多くが帰国を果たせない中、父だけは昭和10年、39才で帰国し長崎に店を開いたのです。その資金はもちろんニューヨークで貯めたものでした」。お店の名前には修業時代を過ごしたニューヨークへの思いが込められていたのです。言わずと知れた大富豪であるGMの会長のもとで、当時のアメリカ式のマナーやエチケットなどを身に付けた先代は、帰国後も、外出時には夜でもきちんと帽子をかぶり、冬にはトレンチコートをさりげなく着こなすダンディな方だったそうです。
先代のアメリカでの修業時代のお話をはじめ、長崎での開業時のエピソード(創業当時は洋食レストランで、デザートでケーキや夏限定のアイスクリームを作っていた)、そして当時のお客さまや、お店を一時閉めざるを得なかった戦争中のお話など、長崎のひとつの洋菓子店から昭和初期の歴史の流れが垣間見れ、たいへん興味深いものがありました。
名物「長崎アイス」を産んだニューヨーク堂は、今、3代目となる若夫婦が社長の片腕となって大いに奮闘しています。若い力が加わったここ数年の間に、「長崎びわの実アイス」や「カステラアイス」など、新製品を出し、長崎の新しい味として注目されています。
ニューヨーク堂は冷菓だけでなく、焼き菓子の方でも、クリームパイ、アップルパイ、ペッスリーといったロングセラーがあります。時代の流れの中で、昔ながらの味わいを守り続けることは実はむずかしいこと。「レシピはほとんど変わりませんが、よりいい素材を選び、技術面でも工夫をしています。お客さまの舌はどんどん肥えていくので、その声に耳を傾けながら私たちも努力を続けています」と社長はおっしゃいます。ニューヨーク堂は洋菓子職人としての誠実さで、長く愛され続けているのです。
◎ 取材協力:ニューヨーク堂 長崎市古川町3―17
TEL095-822-4875