第280号【自然と歴史の宝庫、生月島へ】
生月島(いきつきじま)へ行ってきました。本土の西北端に位置する平戸島のさらに北西部に位置する小さな島です。あいにくの曇天と、春先に多い黄砂のせいで、景色はかすんでいましたが、なかなか味わい深い時間を過ごすことができました。
生月島は、2つの橋で本土と陸路がつながっています。まず本土と平戸島を結ぶ平戸大橋(長さ665m)を経て、さらに平戸島と生月島の間に架かる生月大橋(長さ960m)を渡るのです。生月大橋は、平戸の市街地から車で20~30分ほど。ライトブルーの橋で、眼下に広がる辰ノ瀬戸の青さと島の緑とともに美しい景観を生み出していました。この橋は1991年に開通。建設当初は、「三径間連続トラスト橋」としては世界一の長さだったそうです。
南北に伸びた生月島は、一時間あれば車で一周できるほどの広さです。島の東側(平戸島を望む方角)には、港が点在、民家が集まり町を形成しています。まき網漁業が盛んで、新鮮な魚が豊富です。そして、なだらかな斜面に連なる畑では、アスパラなどが盛んに作られているそうです。島の西側に行くと、民家は途絶え、景色は断崖など雄大な自然へと変わります。この一帯は西海国立公園に指定された景勝地。目の前に玄界灘を望む大海原が広がっています。
「生月」という地名について、『その昔、遣唐使船が唐からの帰路、東シナ海の荒波を乗越えてこの島を目にしたとき、「ほっと一息ついた」ことから「いきつき(生月)」と呼ぶようになったそうですよ』と島の人から聞きました。「いきつき」の名が最初に確認できる歴史的資料の「続日本後記」(869年編纂)には、遣唐使船が帰路、生属島(生月島)に立ち寄ったことが記されているそうです。当時の航海は、まさに命がけ島の人のいう名の由来は、定かではないということでしが、真実味を感じます。
この島で見所としてはずせないのは、生月の博物館、「島の館」でしょう。生月大橋を渡ってすぐのところにあります。江戸時代、日本最大の規模を誇ったという捕鯨組、「益冨組」の本拠地があったこの島の捕鯨の歴史がわかります。また、かくれキリシタンの島としての歴史も知ることができます。信仰を続けた人々のかつての生活の様子を伝える貴重な資料が多数展示されていました。
島の北端にある「大ハエ灯台」も素晴らしいところです。断崖の上に建つ白い無人灯台で、空と大海原を見渡す絶景を楽しめます。灯台の周囲に積まれた石垣の間からのぞくと、真下に断崖に打ち寄せる荒波が見えます。足がすくむ景色です。近くには、捕鯨の歴史にゆかりのある鯨島という小島もありました。
大ハエ灯台の周辺には自然の力を感じる雄大な景観が広がっています。「塩俵の断崖」と呼ばれる天然の奇岩群もそのひとつです。いくつもの石の柱が亀の甲羅を思わせる模様に削られています。これは玄武岩の柱状節理と呼ばれるもの。まさに自然の神秘です。
キリシタン関係では、明治末から大正初めにかけて造られたという天井のアーチが印象的な山田教会、そして生月島の最初の殉教者、ガスパル様の殉教遺跡で、十字架の碑が建つ黒瀬の丘などを訪ねました。かつて大きな迫害を受けた隠れキリシタンの信仰は、今も子孫に脈々と受け継がれ、口伝のオラショ(祈り)が唱えられています。