第275号【長崎~江戸の歴史街道を歩く~後編~】
前号に引き続き、長崎~江戸の歴史街道(1,335キロ)を歩いた餅田健さんのお話です。旧長崎街道~山陽道~東海道と歩いた34日間、朝4~5時頃に起きて、6~7時頃には出発。ひたすら歩いて昼食をとり、陽が落ちる前には宿に入り、夕食、風呂、洗濯、ストレッチを終えて就寝という毎日でした。
一日に歩いた距離は平均39.26キロ。全行程の中で通過した宿場町は、155宿。ちなみに長崎~江戸を約40日かけて歩いた天保13年(1842)の役人たちは、その内の78宿に立ち寄っています。「かつての街道筋は、昔ながらの道を行くところもたくさんありましたが、おおむね車道に変わっている道が多く、また宿場町の中には、その歴史さえ全く感じられなくなっているところもありました。そんな中、例えば長崎街道の鈴田峠、冷水峠などは風情があって良かった。そして、木屋瀬という宿場町も古い建物が多く残されていて出会いの感動がありました」。
一番苦労したのは、日々の宿泊を決める作業です。「行く先々の電話帳で宿を探して予約を取るのですが、目的地にホテル・旅館のないところも多く、いろいろたいへんでした」。
山陽道を経て東海道に入ると、広重が描いた風景と所々で出会い、当時へ思いを馳せました。もっとも感動したのは、春の光を浴びて美しくそびえていた富士山との出会いです。「スタートから30日目、静岡のさつた峠から眺めました。空が青く晴れ渡っていたのですが、そこでみかん売りのおばさんから、こんなに天気がいいのはめったにない、あなたは運がいいっていわれました(笑)」。
ところでこの間、体調はどうだったのでしょう。「毎晩ストレッチなどをしましたが、ずっと足腰の痛みに悩まされたものの、歩を止めることはありませんでした。これは効くなと思ったのは、スタート間もない頃に友人夫妻にいただいたショウガの砂糖漬けです。血行をよくしてくれ、思いのほか体調を整えてくれました」。
そして最終日(34日目)、川崎から多摩川へ出て江戸へ入ると、昔ながらの宿路の感をところどころに残す品川宿を探訪。高輪、銀座を経て、日本橋に向かいました。銀座の人通りの中を縫うように歩く赤いシャツの餅田さん。普段は、全く着るものに頓着しないのですが、この日だけは赤いシャツと決めていたそうです。日本橋では、大学時代の同窓生たちが大勢出迎えてくれました。日焼けした顔に笑みをこぼす餅田さん。心も身体も達成感で満ちあふれました。
今回のチャレンジで、餅田さんがもっとも思いをめぐらしたのは車社会についてでした。「どこも一昼夜ひっきりなしに車が走っている。これだけ石油を使っていたら、当然やがて枯渇するでしょう。また、大気汚染や地球の温暖化といった問題もあります。人間のごう慢さを感じましたね。車社会を否定するわけではありませんが、便利さの一方で失っているものは大きいと思います」。
歩くことで、人や風景との出会いなど、プロセスを楽しめるという餅田さん。長崎~江戸を歩いた感動は2年経った今でも続いているそうです。今後は、芭蕉の奥の細道や日本の背中(鹿児島から北上し、日本海沿岸を北海道までたどる)などの計画もあります。餅田さんのチャレンジはまだまだこれからも続くのです。