第274号【長崎~江戸の歴史街道を歩く 前編】
あけましておめでとうございます。新しい年を迎え、今年こそ何かにチャレンジしたい、生活を変えたいという方もいらっしゃることでしょう。2007年最初のちゃんぽんコラムは、長崎~江戸の歴史街道(1,335キロ)を34日間かけて歩いた餅田健さんのお話です。歩くことが好きなごく普通の70才男性のチャレンジは、あなたの前向きな思いを後押ししてくれるかもしれんません。
餅田さんは長いサラリーマン時代を経て、現在は観光ボランティアガイドをしたり、郷土の歴史を学ぶなどしています。趣味は長距離ウォーキングで、若い頃からあちらこちらの野山や街を歩いてきました。「私にとって歩くことは、幼少時代に獲得したDNAみたいなものです。長崎市郊外で過ごした子ども時代、木炭バスこそあるものの、多くの人が隣の村や街へは山を越え、谷を越え歩いていくことが普通でした。わら草履を履きつぶしては足裏にあかぎれをつくり、時には出血を伴いながら歩いていましたね」。
現在、餅田さんは1時間を6.5キロの速さで歩きます。身長160センチ、体重55キロの身体は、特別なトレーニングをするわけでもなく、ひたすら歩くことでしなやかに鍛えられているのです。「私の歩きはウォーキング用ではなくジョギング用の靴が合います。長崎~江戸もジョギングシューズでした」。
実は、この長崎~江戸を歩くという計画は当初、餅田さんの頭にはなく、お伊勢参り(三重県伊勢市)を考えていました。というのも、その前年の秋、四国八十八ケ所の遍路旅をかなえた後、江戸時代に長崎の町衆が大挙してお伊勢参りをしていたという史実を知り、当時と同じ道をたどりたいと思っていたのです。
そこで、かねてより師と仰ぎ学んでいた長崎の郷土史家、越中哲也先生に江戸時代の参考資料を提供していただいたところ、なぜか目の前に出されたのは、長崎~江戸(長崎街道~山陽道~東海道)の宿場街道のもので、天保13年(1842)に、長崎奉行所が囚人を江戸まで護送した際、担当者2名が記した「江府江御差下囚人差添一件留(こうふえおさしくだししゅうじんさしぞえいっけんとどめ)」という業務日誌だったのです。この思いがけない展開に最初は驚いた餅田さんも、約160年前、宿泊と昼食に立ち寄った宿場がもれなく記載されたその道中記録を読み終わった時には、すっかりお伊勢参りが江戸参府へと変わっていたそうです。
長老・越中先生は、人と、ものごとの先を見抜く鋭い方。餅田さんなら可能であると見込んでのことだったのでしょう。餅田さんは一気に江戸行きの準備にかかり、そして出立の日を迎えました。平成16年2月27日、餅田さんの古稀の誕生日です。朝7時、出島が目と鼻の先にある長崎県庁前(長崎奉行所西役所跡)からスタートしました。早朝から見送りにきた人々の中には、愛犬を連れた越中先生の姿もありました。
この時、餅田さんは前年に亡くなった妹さんの卒塔婆を背に負い、2ヶ月前に亡くなった親友を心の同行者と決めていました。近しいふたりの死は、このチャレンジを大きく後押しするものだったのです。
さて、天保13年の役人は長崎~江戸を約40日かけて行きました。餅田さんの目的は、当時の川止めや各関所での事務手続きを考慮して、それよりも一週間ほど早く着くことです。長崎市街地を抜け、旧長崎街道へ入った餅田さん。道中のエピソードやチャレンジ後の感想などは次回、ご紹介します。どうぞ、お楽しみに。