第273号【長崎弁の魅力】
帰省シーズンがはじまりました。長崎駅に行くと、故郷へのお土産をつめた大きな旅行鞄を下げた若者や家族連れの姿が目立ちます。長崎駅に降り立つと感じる、少しゆったりとした空気、そして聴こえてくる「長崎の言葉」、それが故郷に帰ってきたことを実感する瞬間だと、帰省した友人は言っていました。
「ああた」(あなた)、「おとろしか」(おそろしい)、「…、そいばってん…」(…それはそうだけど…)、「はらかくな」(腹を立てるな)など。また、50代以上の長崎人にしか使われなくなりましたが、赤ちゃんのかわいさを表現して、「ベンタロさんのごたっ」(ベンタロウさんみたい)という言葉があります。ベンタロウとは桃の節句に飾れる京都方面の人形のことで、明治以降、赤ちゃんのほめ言葉として使われるようになった長崎独特の言葉だそうです。こんなふうに、長崎弁はどこかやさしく、おかしみのある響きです。標準語の中で、ふいに耳にすると、心がほっこりとします。
「長崎弁を使うことで、にわかに心の隔たりがせばまり、打ち解けあえる。長崎に限らず各地の方言には、そうした大きな効果があると思います」と話すのは、「長崎弁研究塾」の塾長・田川文夫さんです。高校生から70代までの市民、約20名のメンバーがいるこの塾では、長崎弁をいろいろな視点から追求し、使われなくなりつつある言葉や地元の民話を掘り起したり、史実をもとに長崎弁を使った「長崎俄(にわか)」や創作劇を制作・発表するといった活動をしています。
長崎には、古くから親しまれている『彦山の山から出る月はよか こんげん月はえっとなかばい』(長崎の彦山から出る月は良い。こんな良い月はそうありはしない)という狂歌があります。江戸時代の有名な文芸家で、長崎奉行支配勘定役としてこの地で過ごしたこともある蜀山人(しょくさんじん:大田南畝)が詠んだものと伝えられています。「それにならって狂句や狂歌もつくるなど、幅広いジャンルから長崎弁を表現しているのです」。
長崎弁は、地域的には肥筑方言圏(筑前、筑後、肥後、肥前)に属し、長崎が開港した16世紀初めから、上方(大阪あたり)からの商人の出入りが多かったため、その地域の言葉の影響を受けながら、江戸時代中期頃にほぼ完成されたようだと言われています。そんな長崎弁が醸す独特の味わいは、一体どこからきているのでしょう。
「長崎の風土・気風は、外国人や他県からやってきた方をおおらかに受け入れる寛容さがあるといわれています。それは、唯一の海外貿易港として栄えていた時代、天領(幕府の直接の支配地)ということで、庶民は税金を取られませんでした。しかも、その上、箇所銀(かしょぎん)・かまど銀と呼ばれる分配金までもらっていたのです。その金額はけして大きくはありませんでしたが、他の地域にくらべれば生活する上で人々の心にゆとりがありました。そこから長崎独特の気風が生まれ、長崎の方言にもいろいろな形で表れているのではないでしょうか」。
長い間、教員として務め、退職後は、観光ボランティアガイドとしても活躍している田川さん。「教師時代は、悩みを持つ子どもに長崎弁で話しかけることで、心を開かせることができました。また、観光ボランティアガイドでは適宜、長崎弁を使ってお客さまに説明をすると、にわかに親しく接してくれます。お客さまにとっては、長崎の真髄に触れたような気持ちになるのだと思います」。
イントネーションや間合いなど、字面だけではわからない長崎弁の魅力。ぜひ、長崎の街へお出かけになって、味わってください。