第272号【フィランドの奥深さに触れる旅】

 FIRAND(フィランド)。どこか遠い国の名を思わせる響き。でも、北欧のフインランドではありません。それは、日本の西の端にある島。島名がすぐにわかった方は、なかなかの長崎県通、歴史通と言えるかもしれません。


 答えは「平戸島」です。アジア大陸にも近い、地の利の良さから、戦国時代~江戸初期にかけてはポルトガル、イギリス、オランダなどヨーロッパの国々とのいわゆる南蛮貿易が盛んに行なわれ、「西の都・フィランド」と呼ばれるほどの繁栄ぶりでした。さらに鎌倉・室町時代にはアジア諸国との貿易地として、奈良・平安時代には、遣唐使の寄港地として、大陸と日本を結ぶ中継地という大切な役割を果たしてきました。




 この秋、「長崎日本ポルトガル協会」が主催した「ザビエル生誕500年記念・平戸史跡見学会」に参加する機会を得ました。南北に細長いこの島をほぼ端から端まで縦断しながら、教会や神社などをめぐる1泊2日の小さな旅。奥深い平戸島の文化と歴史を垣間見ることができました。




 平戸島は、キリスト教の信仰と弾圧の歴史を刻む島です。島内には、明治時代より建立された美しい教会が点在しています。キリスト教は、室町時代の1550年、この島にやってきたフランシスコ・ザビエルによって伝えられました。多くの信者がいましたが、間もなく豊臣秀吉のキリシタン禁教令から江戸時代にかけてきびしい弾圧があり、信者たちは密かに信仰を続けたといいます。


 平戸港を囲む市街地から30分ほど南下したところにある宝亀(ほうき)地区では、レンガ色の外観で簡素な美しさをたたえる宝亀教会、平戸島中央の紐差(ひもさし)地区では、ロマネスク洋式の堂々とした外観の紐差教会を訪れました。いずれも、のどかな地域の中にあって、信仰の光のような佇まいでした。紐差教会のすぐそばには、三輪神社の社殿がありました。山自体を神として祭った神社だそうで、古代の信仰を今に伝えています。




 平戸島の最南端に位置する志々伎湾(ししきわん)沿いを経て、宮の浦地区へ。ここは、たくさんの小型漁船が停泊する漁港を擁した、どこか懐かしい雰囲気が漂う地域です。屋根にブロックを乗せている家々の様子がめずらしかったので、地元の人に聞いてみると、台風の風当たりがたいへん強いからということでした。




 宿泊した宮の浦の旅館には、釣客の魚拓がたくさん飾ってありました。長崎県下はもちろん、福岡、熊本などからの釣り客が絶えません。東シナ海に開かれたこの地域の海はたいへん美しく、マダイやイカ、ブリ、ヒラメなど魚の種類も数も豊富なのです。




 宮の浦地区では、志々伎神社という古いお宮を訪ね、平戸神楽を見ることができました。みろくやホームページの『写真で見る最近の長崎』に掲載していますので、ぜひ、ご覧下さい。


 平戸島の観光というと平戸城下の市街地に集中しがちですが、そこから、最南端の宮浦地区までは路線バスで1時間30分ほどです。バスにゆられながら、のどかな風景を眺めていると、ダイナミックに海上を往来した、いにしえの人々や、この地で慎ましく生きた人々が、よりリアルに感じられます。歴史好きの方ならば、味わい深い旅になることでしょう。

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