第266号【長崎を愛した孤高の版画家・田川憲(たがわけん)】

 残暑の中にも、秋の気配が感じられるこの頃。季節は変わっても私たちの日常は、さまざまな用事にあふれ相変わらず気忙しいものですが、だからこそ、食欲の秋や芸術の秋を満喫する時間を大切に過ごしたいものですね。


 この秋も各地では「芸術の秋」にふさわしくさまざな展覧会が催されるようです。もちろん長崎でも魅力的な展覧会が目白押しです。その中から今回は、長崎ならではのものとして、長崎市歴史民俗資料館(長崎市平野町)で開催中の「田川憲生誕100周年記念展」(平成18年9月3日~9月27日迄)をご紹介します。




 田川憲氏(1906~1967)は、長崎を代表する版画家です。主に1930年代から1960代にかけて、長崎港や南山手の洋館、唐寺をはじめ長崎の各地の風景などを描き残しています。版画家としての技量と作風は当時、「東に棟方志巧、西に田川憲」と評する人もいるほど素晴らしいものでした。その作品は、氏が亡くなって39年経った今でも長崎の公共施設の一室に飾られたり、地元銀行のカレンダーになるなどして、長崎の日常の中に溶け込んでいます。




 田川氏が残した作品の中の長崎は、多くの外国人が行き交った居留地時代(幕末~明治期)の面影がまだ色濃く残る昭和初期から高度成長期の頃まで。その作品からは、版画独特の素朴な味わいとともに、作者のある思いが伝わってきます。それは、日本の貴重な歴史を刻む故郷・長崎への愛情で、しだいに風化していく長崎独自の景観を危惧する思いでした。




 田川氏と同時代を生き、交流のあった長崎の歌人、秦美穂(はた みほ)氏は、「彼は風化など美しいひびきのある言葉ではなく、まさに滅び去ろうとする長崎を、必死に、すがりつくように、また憑かれたようにして描き、かつ板に刻(ほ)り起こした画家である。」〈~没後十年の田川憲版画展に寄せた一文より~〉と記しています。



 

 10代の頃から金子光晴など長崎に来た作家たちと交流をもち、20才の頃、画家を志して上京。そこで版画にめざめ、恩師や友人など人生に大きな影響を及ぼす人々と出会いました。その時代は、戦争の混乱期とも重なっています。折にふれ長崎に帰郷し、版画家として活動を続ける中、従軍画家も経験(昭和13~15年)。上海にも数年在住し、版画を通じて中国の人と交流を深めています。




 この展覧会では、そういった氏の激動の経歴を知ることができます。また、彫刻刀や硯、バレン、下絵、版木など愛用の道具をはじめ、氏に近しい方々が所蔵していた作品など、これまで公にされなかった作品なども多数展示されています。


 コンクリートのビルが乱立する直前の「異国情緒・長崎」を作品に残した田川憲氏。そこには、これからの長崎の街づくりへの大きなヒントが秘められているようでもありました。ぜひ、ご覧ください。


◎取材協力/長崎市歴史民俗資料館(長崎市平野町7―8)

      TEL095847―9245

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