第263号【なつかしの長崎港内交通船展(長崎市歴史民俗資料館)】
夏休みがはじまりました。これから長崎へ帰省する、旅行されるという方もいらっしゃることでしょう。長崎でいろいろと行ってみたい場所はあると思いますが、『なつかしの長崎港内交通船展』を開催中の「長崎市歴史民俗資料館」(平野町)にも、足を運んでみませんか。
「なつかしの長崎港内交通船展」は、特に50代以上の方々におすすめの小さな企画展です。大正から昭和40年代半ばくらいまでの長崎港や港内交通船の写真パネルを中心とした展示内容で、当時の長崎は知らないという方でも、モノクロの写真がかもす雰囲気に、心ひかれるものがあるかもしれません。
長崎港内交通船とは、かつて長崎市内の陸路がまだ不便だった頃、長崎港内の各地域を結び、人々の生活の足として活躍した船のことです。その歴史は、明治期にまでさかのぼるといいます。当時、出島にほど近い長崎市中心部と、対岸に点在する数カ所の地区を結んだのは「一銭渡し」と呼ばれた6人乗りの小さな舟。船賃がひとり一銭だったから付いた呼び名ですが、これは、中国語で小舟を意味する「サンパン」という舟で、明治18年に長崎を訪れたフランス人ピエル・ロチが書いた小説「お菊さん」の中にも「サンパン」の名は登場します。
この「一銭渡し」は、今のタクシーなどのように、乗り込めばすぐに目的地に運んでくれるものではなく、個々にやってきた乗客が6人になるのを待って、漕ぎ出したとか。のんびりとした時代が感じられる話です。
その後、「一銭渡し」に代わり、民間の蒸気船が出るようになり、さらに長崎港内にあった三菱長崎造船所も従業員の通勤のための会社専属の船を出すようになりました。大正時代に入ると、路面電車の会社である「長崎電気軌道株式会社」も港内交通船業に進出し、電鉄丸」を就航させました。その後、民間の港内交通船の会社から、長崎市がその経営をゆずりうけ、大正13年「市営交通船」の運航がはじまったのです。この頃は、長崎~上海航路の船も行き交っており、長崎港は大小さまざまな船の往来で、たいへん賑わっていたようです。
ところで、港内交通船の形は、人を多く乗せることが目的で、波静かな港内専用ということからか、横波に弱そうな、けしてスマートとは呼べない形をしています。その姿から、「ぞうり虫」とも呼ばれたそうです。
展示会場には、市営交通船や波止場、乗客の様子など約200点に及ぶ写真パネルの他、電鉄丸の模型や長崎三菱造船所の通勤船・諏訪丸の資料なども展示。また、昭和44年に市営交通船が廃止されるにあたって制作されたビデオでは、市営交通船での通勤の様子や、バスガイドさんが同乗した路線バスなど、高度成長期の真只中で変化していく時代の様子を垣間見ることができます。
この『なつかしの長崎港内交通船展』は8月31日まで開催。「長崎市歴史民俗資料館」は入場料無料です。「長崎さるく博」が開催中の今年10月31日までは無休で、9時から17時まで開館しています。常設展として、江戸時代の長崎港や街の様子を描いた南蛮屏風や川原慶賀が描いた江戸時代の年中行事の絵をパネルで紹介したコーナーもあり、長崎初心者の方にもおすすめのスポットです。
◎取材協力/長崎市歴史民俗資料館
◎参考にした本/市制65年史(長崎市)