第258号【移転オープン、長崎市歴史民俗資料館!】
歴史好きの人々が、初めての町や村に出かけた時、まず訪れるのがその土地の風俗・歴史資料がぎゅっとつまった資料館です。遠い昔の黄ばんだ資料がかもす、簡素でひなびた雰囲気はどこも似ていますが、その土地にしかない文化の匂いが感じとられ、面白いものです。
長崎市には、「長崎市歴史民俗資料館」というところがあります。昭和53年(1978年)に長崎港そばの松が枝町に開設して以来、数カ所の移転を経て、この春、「長崎原爆資料館」(平野町)隣の平和会館内へ引っ越してきました。これまでよりもわかりやすく、交通の便が良くなったため、市民や観光客の方々にも好評のようです。
同資料館では今、移転記念と長崎さるく博の特別展として、「崎陽亀山焼展(きようかめやまやきてん)」と「若杉家と茶道展」を開催中です。「崎陽亀山焼展」は、焼き物に興味のある方なら、見逃せません。タイトルの「崎陽」とは「長崎」のこと。「亀山焼」は、幕末の長崎に生まれ、約60年で途絶えた窯です。
「亀山焼」は、文化元年(1804年)頃、オランダ船に売るための水甕(みずがめ)をつくるために、長崎の伊良林というところに窯が設けられました。「亀山焼」の名称は、この水甕の「かめ」に由来しているといわれているそうです。窯の経営は、長崎の裕福な町人、大神甚五平ら4人によって行われましたが、ちょうどその頃、ヨーロッパのナポレオン戦争の影響で、オランダ船の来航が長く途絶え、経営は失敗。その後、大神甚五平ひとりが経営に乗り出し、製品を陶器から白磁や青磁に切り替えたことが成功。数々の名品を世に送り出しました。
今回、展示されている作品は、経営再建後につくられた白磁が中心です。ケーキをかたどった器やオランダ船の絵が入ったティーポットなど海外向けと思われる製品もありました。染付の絵柄は、山水や亀などをモチーフにした中国風や、貝殻などをデザインした西洋風、そして長崎の木下逸雲(きのしたいつうん)や大分の田能村竹田(たのむらちくでん)など、当時の著名な文人や南画家たちが描いたものなど、とにかく多彩です。絵付けをした人々のいきいきとした筆使いや魅力的なものをつくろうとするチャレンジ精神が伝わってくるようです。
白磁の陶土は天草から取り寄せ、美しい青を生み出す染付の呉須(ごす)は中国の上質のものを使用。また中国の蘇州の土で青磁をつくるなど、素材を海外に求めているところなどに、貿易港・長崎ならでは感性がうかがえます。
その後、「亀山焼」は幕末の混乱の中で衰退。慶応元年(1865年)に廃窯になりました。余談ですが、この翌年、亀山焼の窯跡の近くに、坂本龍馬は貿易商社の亀山社中を結成しています。
「若杉家と茶道展」は、長崎の地役人で茶人でもあった若杉家と裏千家の交流を物語る企画展です。「利休之像」や由緒ある茶道具など、貴重な資料が14点展示されています。やはり、会場には茶道をたしなむ方々が絶えないそうです。
「崎陽亀山焼展」と「若杉家と茶道展」は、2006年5月末まで開催中です。ぜひ、足をお運びください。
◎参考にした資料/「崎陽亀山焼展」(長崎市歴史民俗資料館)
◎取材協力/長崎市歴史民俗資料館