第253号【諌早の名橋・眼鏡橋を訪ねて】

 風はまだ冷たいですが、あたたかな日射しやツボミをふくらませた植物たちが、「春は、もうすぐそこですよ」と告げています。今回は、爽やかな早春を満喫しようと、散策の足を伸ばして長崎駅から快速電車で約20分のところにある諫早市へ出かけました。

 

 長崎県のほぼ真ん中にある諫早市は、人口約14万5千人。東に、ムツゴロウなどの生息で知られる有明海、西に、長崎空港(大村市)を擁する波静かな大村湾、南に、豊かな漁場で知られる橘湾(たちばなわん)と三方を海に囲まれ、北には、地元の登山家に愛される緑豊かな多良岳が連なっています。



 

 諫早市の中央部を流れているのは、一級河川の本明川です。サギやカワセミなどが生息する美しい川で、諌早市街地を通って有明海に注いでいます。その下流に広がる諌早平野は、長崎県最大の穀倉地帯として知られています。そんな諫早市の近年の大きな出来事といえば、昨年3月に隣接する5つの町(多良見町、森山町、飯盛町、高来町、小長井町)と合併したことでしょう。さらに広く、大きくなった諫早市の発展が期待されています。


 長崎市から電車やバスで気軽な距離の諌早市ですが、土地柄はやはり違います。それを大きく感じるのは方言です。たとえば、「こちらへ、来なさい」は、長崎弁だと、「こっちへ、来(こ)んね」、諌早弁だと「こっちへ、来(き)んしゃい」となります。諌早独特の言葉は、「かつて佐賀藩だった影響が大きいのでは?」と諌早在住の友人は言います。


 江戸時代、「佐賀藩諌早領」として栄えた諌早は、長崎街道が通るなど、交通の要地だったことで知られています。かつての街道沿いにあった久山茶屋(くやまちゃや)跡(諌早市久山町)には、旅の途中、龍馬やシーボルトなどが使ったといわれる井戸が今も残されています。




 諌早ならではの史跡や見所もたくさんありますが、まず、見ていただきたいのが「眼鏡橋」です。眼鏡橋というと、長崎では中島川に架かる石橋群のひとつを思い出しますが、諌早の眼鏡橋は、長崎の眼鏡橋とは違った味わいがあります。




 諌早市の石造りのアーチ橋、「眼鏡橋」は、諌早市街地の中心部にある諌早公園内の池に架けられています。しかし、もともとは、そのそばを流れる本明川にありました。水害のたびに橋が流されていた本明川に、けして流されない橋をという、領主・領民の願いから、1839年(天保10)に架けられたそうです。

 

 眼鏡橋のたもとの説明板によると、長さ約45メートル、高さ6メートル、幅5メートル。石材は、近隣の山から切り出された砂岩で、全部で2、800個も使っています。1961年(昭和36)、本明川の幅を広げる工事の際、現在地に移築・復元されたそうです。




 石橋としては大ぶりながら、欄干などのデザインも含め、全体的にとても美しい諌早の眼鏡橋。たいへん丈夫な橋だったので、昔は、人柱が立っているのではという噂もあったそうですが、移築の際にわかったのは、アーチの中央部分の基礎石の下に、有明海の潟が1メートルほど入っていて、それがクッションの役割を果たし、地震などの揺れを吸収していたそうです。


 眼鏡橋のある諌早公園は、かつてお城があった山を利用したもの。その頂きへ登ると、遠く雲仙の平成新山から、多良岳も一望できます。そこには、樹齢800年ともいわれる大クスもそびえていました。遥かな歳月を生き抜いてきた巨木を見上げ、長崎市とはまた違った歴史の広がりに思いを馳せたひとときでした。



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