第249号【事始め ビール、ジン、ワイン】
今年もあとわずか。長崎駅では、御用納めのこの日を境に、都会からの帰省客も増えはじめ、年の瀬ならでは混雑が見られるようになります。これから、帰省されるという方は、気を付けてお出かけくださいね。
帰省する方々がいちばん楽しみにしているのは、やはり故郷の味のようです。先日も、数年ぶりに東京から長崎に帰省することになった友人から、「早よ、そっちで、ちゃんぽんば、食べたかー」という電話がありました。「よかばい、作ってやるけん(わかった、作ってあげる)」と返事をすると、友人曰く、「ちゃんぽんは、長崎で食べるのがいちばん旨かもんね!」とうれしいことを言ってくれました。
さて、久しぶりに懐かしい笑顔が集う時、おいしい郷土料理とともに欠かせないのがアルコール飲料です。実は長崎は、いくつかの代表的なアルコール飲料の日本における歴史に深いゆかりがあります。たとえば、ビール。江戸時代にオランダ船によって出島に持ち込まれたのが最初だといわれています。
出島在住のオランダ商館員たちは、相当ビール好きだったようです。オランダ本国がフランス軍に占領されるなどの影響で、オランダ船が出島に長く入港しなかった時期があったのですが、輸入が途絶えたビールをどうしても飲みたくて、出島でビールを醸造したというエピソードもあるそうです。はてさて、出島ビールはおいしくできたのでしょうか?
ジンフィズやマティーニなどカクテルづくりに欠かせないジンも、オランダから出島にもたらされたのが最初のようです。百科事典によると、もともとジンは、17世紀にオランダのライデン大学の教授によって発明されたお酒で、蒸留アルコールに、杜松(ねず)の実で香りをつけたもの。アルコール度が強いお酒ですが、オランダ人の口にあったようで、発明後またたくまに普及したそうです。
ワインも長崎ゆかりのお酒です。こちらはビールやジンより早く、16世紀頃、ポルトガル人との南蛮貿易の時代に長崎に伝えられといわれています。当時、赤ぶどう酒(ワイン)のことをポルトガル語に由来して「チンダ酒」(=珍陀酒)と呼んだそうで、その後、オランダ人との出島貿易の時代になっても、その名前が使われたそうです。
当時のオランダ商館員たちはどんなふうにお酒を飲んでいたのでしょう。19世紀初頭の姿を再現すべく現在、復元工事が進められている出島に行くと、すでに復元された「一番船船頭部屋」でその様子を想像することができました。
「一番船船頭部屋」と呼ばれる棟には、オランダ船の一番船船長や商館員たちが過ごした部屋があります。壁紙、椅子や机、小物など、当時の家具調度品がこまかく再現されたその部屋は、今見ても、和洋折衷のモダンなインテリアが洒落ています。部屋を見渡すと、畳の上にはワインやジンが入っていたという複数の瓶、戸棚には携帯用の酒ビンやジンやワインの各グラスが置いてあり、いつでも飲める状態になっていました。せまい出島での暮らしの中で、アルコール類は大切ななぐさめのひとつだったようです。
今年も当コラムを御愛読いただき、誠にありがとうございます。皆様、良い新年をお迎えください。
◎ 参考にした資料や本/ながさきことはじめ(長崎文献社)、ジャポニカ大日本百科事典9巻(小学館)、よみがえる出島オランダ商館~19世紀初頭の町並みと暮らし~(長崎市教育委員会)
◎撮影にご協力いただいた関係各所/長崎市観光企画課