第248号【稲佐の悟真寺と国際墓地】
先日、三菱重工長崎造船所が建造した世界最大級の豪華客船「ダイアモンド・プリンセス」(約116、000トン)が長崎に里帰りしました。同船は、今年10~11月にかけて5回ほど入港。港内に接岸されたその姿を見る度に、一夜にして巨大ビルが生まれたような驚きがあります。ずっと見ていても飽きない、気品ある船体。造船マンの方々の熱意と技術のすごさを感じます。
長崎港にこういった客船が入港した時、地元の写真愛好家たちが必ず向かう場所のひとつが稲佐山(いなさやま:海抜333メートル)です。稲佐山は、客船が停泊する松ケ枝の対岸に位置する稲佐地区の背後にそびえる山。ロープウェイでその頂上へのぼり、長崎港を一望する展望台から見下ろすと、故郷・長崎の街に馴染んだダイアモンド・プリンセスの姿がありました。
ロープウェイを下り、ふもとの稲佐地区一帯を散策しながら、観光名所として知られる悟真寺(ごしんじ)と、稲佐悟真寺国際墓地を訪ねました。悟真寺は、16世紀末に開かれた長崎最古のお寺です。ちなみに、ここの境内付近に、南北朝時代の豪族、稲佐(伊奈佐)氏の居城があったことから、稲佐という地名になったといわれています。
少し高台に建つ同寺の下には、ビルや家々が建ち並ぶ風景が広がっていますが、その昔は海で、舟だまりになっていたそうです。現在は、昔の面影はないものの、ビルの向こう側に海が見え、当時は港を一望できる見晴しの良い場所であったことがうかがえます。
16世紀後半、長崎にはキリシタン全盛の時代がありました。悟真寺が建立された1598年には、すでにキリスト教の禁教令が出ていましたが、長崎でのキリシタンの勢いは衰えておらず、社寺が破壊される事件が相次ぎました。社寺破壊は、日本初のキリシタン大名の大村純忠が入信する際、神父に約束したことだったそうです。このお寺を開いた聖誉(せいよ)というお坊さんは、はじめは稲佐山にあった洞くつに隠れながら仏教の布教を行ったと伝えられています。
そのような時代背景の中、長崎におけるお寺再興の第一号となったのが悟真寺でした。稲佐一帯は、長崎が開港された1570年以後、来航した中国人たちが居住した地域です。寺の建立にも中国の商人が深く関わっており、悟真寺は、長崎在住の中国人の菩提寺となったのでした。
悟真寺の裏手に入ると、「稲佐悟真寺国際墓地」があります。なだらかな丘の斜面一帯には、江戸時代から造成されてきた唐人墓地、オランダ人墓地、ロシア人墓地など各区域があり、さらにポルトガル人やイギリス人、アメリカ人のお墓もあります。それぞれのお国柄が偲ばれる形の墓碑がたくさん建ち並ぶ光景は圧巻で、国際都市・長崎ならではです。
ところで、稲佐地区はロシアとの関係が深いところです。1854年の和親条約から約半世紀の間、帝政ロシア極東艦隊の滞在地のひとつだったのです。ロシア人の往来でおおいに賑わった稲佐地区は、ロシア村と呼ばれるほどだったとか。その関係の深さを物語るように、ロシア人墓地には、1891年、皇帝ニコライ2世が皇太子時代に訪れています。近年では、1991年にゴルバチョフ大統領も訪れ、話題になりました。
開港以来の長崎の国際的な歴史の中で、母国に帰ることなく亡くなった大勢の人々。中には、外国人である恋人のために日本人の遊女が建てたお墓もあります。樹木に囲まれ静かな佇まいをみせるこの国際墓地には、歴史の表舞台では語れない出来事もたくさん眠っているのでしょう。
◎ 参考にした資料や本/長崎事典~風俗文化編~(長崎文献社)、長崎県大百科事典(長崎新聞社)