第238号【長崎骨董屋物語展(長崎市歴史民俗資料館)】

 もうすぐ子供たちの夏休み。海や山など家族揃ってのレジャーを計画中の方も多いことでしょう。たっぷり約6週間もあると思っても、あっという間に過ぎ去ってしまうのが夏休み。某CMのキャッチコピーではありませんが、「モノより思い出」を大切に、子供たちを見守っていきたいですね。


 さて、今回は、「長崎市歴史民俗資料館」(長崎市上銭座町)で開催中の「長崎骨董屋物語展(ながさきこっとうやものがたりてん)」をご紹介します。この資料館は、長崎の歴史や風物を、ユニークな視点でとらえた企画展が多いことで知られています。去年の今の時期には、「長崎ラムネ物語」が開催され、地元でもあまり知られていないラムネ発祥にまつわる長崎の歴史が解き明かされました(※コラム195号に掲載)


 「長崎骨董屋物語展」では、明治~大正の頃、長崎で骨董屋を営み活躍した池島正造(いけしましょうぞう:1844~1907)氏、尾張榮太郎(おわりえいたろう:1871~1938)氏という二人の人物を紹介しています。


 池島正造氏は、中島川沿いにある麹屋町で、江戸時代から続く家業の骨董屋を営みました。彼は、「池正(いけしょう)」の名で、地元はもとより、東京、大坂、京都にも名を馳せる豪商だったそうです。ちなみに彼は、当時の傘鉾町人(かさぼこちょうにん)のひとり。傘鉾町人とは、長崎くんちの踊り町の先頭に立つ傘鉾の費用を個人で負担する裕福な家で、その当時、人々の尊敬を集めた町内の実力者のことです。明治天皇が長崎にいらっしゃった際には、珍宝を天覧し、ロシアのニコライ皇太子が訪れた際には、この池正から骨董品を購入したそうです。






 また、芥川龍之介が大正11年5月に長崎を訪れた際、東京のさる人物に宛てた書簡には、長崎で画を観たり丸山へ行ったりして過ごす中、「蘇東坡」という画家の作品を求め長崎中探したが見つからず、その名を知っていたのは、骨董屋の池正だけだったといったことが記されています。池正は、自らも画を描き(長崎の三筆のひとり、木下逸雲に手ほどきを受けたらしい)、茶道もたしなむ文化人でした。展示室では、彼が描いた「芦雁(ろがん)」の図を見ることができます。


 もうひとりの骨董屋、尾張榮太郎氏は、麹屋町にほど近い諏訪町に1910年(明治43)に開業。創業時から亡くなる前年の1937年(昭和12)までの帳簿、「古物商明細帳」が展示されていました。そこには、「亀山焼」、「赤絵オランダ皿」、「朝鮮焼皿」、「唐物青磁一輪生」など、日本国内はもとより、中国やオランダの品々がひとつひとつ書き出され、いつ、いくらで、誰から購入し、誰に売ったかが細かく記されています。当時の骨董品の流れの一端が見えると同時に、開港後の激動の時代の中、外国商人が行き交い豊かだった長崎の町の気配も感じられ、興味深いものがあります。ちなみに「長崎ラムネ物語」もほぼ同時代(幕末~明治~大正)の話です。




 展示室には、当時、流通し骨董屋の店頭にも並んだかもしれない(?)、亀山焼の香炉や、中国製と思われる「象」をかたどったトンボ(ガラス)の置物、古渡(こわたり)の色絵硝子器などが展示されています。たいへん貴重な品々だそうです。






 「長崎骨董屋物語展」は7月31日まで開催。骨董には興味がないとおっしゃる方でも、「長崎市歴史民俗資料館」には、原始~古代の土器や石器など考古学資料をはじめ、昔の農機具や漁具、酒造りの道具など、長崎の民俗資料も豊富に展示されています。お子さんとご一緒にお出かになりませんか?




◎取材協力:長崎市歴史民俗資料館


◎参考にした本/長崎事典~風俗文化編~(長崎文献社)、芥川龍之介全集第11巻(岩波書店)

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