第235号【長崎・清水寺の石の言い伝え】

 「縁結びの石があるらしいわよ」と聞いて、さっそく鍛冶屋町にある清水寺(きよみずでら)へ行ってきました。清水寺は、風頭山のふもと、寺町界隈の一角に建つ真言宗のお寺です。1623年(元和9)、京都の清水寺の僧侶だった慶順(けいじゅん)によって開創されました。



 

 地元の人々に「キヨミズさん」と呼ばれ親しまれている清水寺。くだんの石は、参道の階段の途中にありました。苔むしたの石の正面には、『奇縁氷人石』(きえんひょうじんせき)と刻まれています。「奇縁」とは文字どおり思いがけない縁、不思議な縁といった意味。「氷人」とは、中国の故事にちなんだ言葉で、男女の仲を取り持つ人のことをいうそうです。石の左側には『たつぬるかた』、右側には『をしゆるかた』と刻まれていて、結婚をのぞむ人は左側に、世話をする人は右側に、それぞれ名前や年齢、趣味などを書いた紙を貼り付けて縁結びに役立てたそうです。



 

 「この石は明治以前のものです。男女の仲を取り持つだけでなく、行くへ知れずの人を尋ねるのにも利用されたようですよ」と教えてくださったのは、清水寺のご住職。テレビやインターネットなどで瞬時に大量の情報が行き交う現代人には、石を頼りにする当時の社会は想像しにくいところがあります。しかし、良縁を求める人々の切なる思いは、時代を経ても変わらぬ人情。江戸時代の人々がぐっと身近に感じられます。「今でも、願かけをされて石の上やたもとに5円玉を置いていかれる方がいらっしゃいます」。


 興味深い言い伝えや長崎ならではの歴史の痕跡を残す清水寺の「石」は、他にもいろいろあります。たとえば、「瑞光石(ずいこうせき)」と呼ばれる岩。光を放ったといわれるこの岩がきっかけで、この地を寺地と決めたと伝えられています。本堂の前に設けられた「石造りの欄干」も見応えがあります。慶順が、京都の清水寺以上の名所をめざし、その舞台をなぞらえて造ったと言われています。京都の方は木組ですが、こちらは石組。当時の長崎の石職人たちの心意気が伝わってきます。




 この石造りの欄干から望む長崎市街地の眺めは抜群です。現在はビルが乱立して見えなくなっていますが、昭和60年頃までは、長崎港を見渡せたとご住職はおっしゃいます。欄干のそばには、はにわを思わせるユニークな形をした常夜灯があります。長崎市内に3つしかないという珍しい形だそうで、絶妙なバランスで石が組み上げられていました。「先日、地震があった時、この常夜灯がくずれていないかという問い合わせの電話がありました(笑)」。この常夜灯がいつ頃のものか詳しいことはわからないそうですが、「江戸時代はこの寺の近くまで海だったんです」というように、燈台の役目を果たしていたようです。




 「本堂(県指定有形文化財)は、中国人の棟梁のもとで、日本人の大工さんたちが築きました。唐寺に見られるような黄ばく宗の建築様式が混入しているのが特長です」。天井や沓石に見られる異国の趣。おおらかな大陸の雰囲気が感じられたのはそのせいでした。




 本堂には国宝級のものもあるという研究者もいる清水寺には、まだまだ興味深い歴史がつまっています。実は、今年の秋頃から、地盤沈下や老朽化による建物の痛みを補強するため、解体作業がはじまるそうです。専門家を交えて行われる解体作業によって、新たな事実が浮かび上がることが期待されます。



◎ 取材協力/長崎山 清水寺 長崎市鍛冶屋町8―43


◎参考にした本/長崎の史跡~長崎学ハンドブック2、3~(長崎市立博物館)

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