第217号【長崎ことはじめ バドミントン】

  12月上旬、某人形メーカーが、ご婚約が内定した紀宮様や韓流ブームの火付け役となったペ・ヨンジュンさん、メジャーリーグでシーズン最多安打を記録したイチロー選手など、今年明るい話題を提供してくれた人をモデルにした「変わり羽子板」を発表しました。師走恒例のこの話題に、年の瀬を実感した方もいらっしゃったことでしょう。


  お正月遊びの定番としてあげられる羽子板(今では遊ぶより、縁起のいい飾り物としているケースが多いようですが…)に関する語が、文献に初めて登場したのは室町時代のことです。「下学集(かがくしゅう)」という辞書で、そこにはハゴイタ、コギイタという読みが記されているそうです。同じく室町時代の「看聞御記(かんもんぎょぎ)」には、公家や女官が羽根つきの勝負をしたことが記されています。つまり、日本における羽子板は遅くとも15世紀には行われていたということになります。


  ときに日本のバトミントンとも称されることがある羽子板。羽をつくこの遊びに似たものが、江戸時代の出島で行われていたことをご存知ですか?江戸時代の学者、森島中良(もりしま ちゅうりょう)が、オランダ商館について見聞きしたことを記した「紅毛雑話(こうもうざつわ)」(1787年刊行)の中に、『羽子板並羽根』の見出しで、『~西洋館にて閑暇なる時は追羽根をつきて遊ぶなり。羽子板をラケットといひ、羽根をウーラングといふ~』という内容を記しており、ラケットと羽根の挿し絵も描かれています。






 出島の生活の様子を描いた江戸時代の絵巻物「漢洋長崎居留図巻」の中にも、出島で働いていたインドネシア人と思われる人たちがバドミントンのような遊びに興じている姿が描かれています。


  バドミントンは、その昔イギリスを中心に発展した競技で、イギリスのバドミントン村に発祥したことから、その地名がそのまま競技名になったそうです。そのさらなるルーツには諸説あるそうですが、一説にはインドのプーナ地方で古くから行われている「プーナ(poona)」が原形であるといわれており、バドミントン村には19世紀中ごろに、インドに駐在していたイギリス人将校らによって持ち帰られたといわれています。


  前述のインドネシア人が出島で行っていたバドミントンらしき遊びも、彼らの出身から、「プーナ」が原形であったと考えても不思議ではありません。だとすると、バドミントンの原形は、バドミントンと名付け発展させたイギリスより早く出島の方へ伝わっていたことになります。






  このゲームが、日本でイギリスのような発展が見られなかったのは、出島という隔離された場所であったことも要因でしょうが、すでに羽子板遊びがあったことで、それほど珍しく思われなかったからとも想像できますが、皆さんはどう思われますか?現在、出島の一角にはその歴史をとどめる「バドミントン伝来之地」の碑が建っています。





◎今年もちゃんぽんコラムをご愛読いただき誠にありがとうございました。新年は1月5日からスタートします。佳い年をお迎えください。


◎ 大日本百科事典第14巻(小学館)、ながさきことはじめ(長崎文献社)、長崎歴史散歩(原田博二著、河出書房新舎)

検索