第214号【長崎県平戸ゆかりの武家茶道・鎮信流】

 茶道教室に通っている友人の話によると、どこの流派かをたずねる際、ほとんどの方が、「裏ですか?表ですか?」と聞かれるそうです。ここでいう裏、表はご承知の通り、「裏千家」と「表千家」のことですが、茶道はこの2つの流派しかないと思っている人が意外に多いのではないかとその友人は言います。もし本当にそうだとしたら、日本の文化を代表するものだけにとても残念な話です。


 茶道は大別すると、主に町人層によっておこなわれてきた「町衆茶道」と、大名の家で伝えられてきた「武家茶道」の2つがあります。前者に属する流派は、前述の裏千家、表千家をはじめ武者小路千家、江戸千家など。後者は、織部流、遠州流、石州流などがあり、今回ご紹介する平戸ゆかりの鎮信流(ちんしんりゅう)もこの武家茶道の一流派です。


 鎮信流の流祖は、平戸藩主の第二十九代松浦鎮信(まつらちんしん:1622~1703)という方です。このお殿さまが藩主となったのは、島原の乱があった年(1637)。当時、オランダとの貿易で栄えていた平戸でしたが、まもなくオランダ商館が平戸から長崎へ移転されて、平戸藩の経営はたいへん苦しくなりました。この時、鎮信公は、財政の建て直しを図るため、商業、農業、漁業を振興し、殖産を奨励。幕府巡国使に「九州で第一の治世」と賞されるまでに至ったそうです。また、山鹿素行に師事し、その兵学を藩に導入するなどしています。






 そんな鎮信公は、若い頃より茶を好み、名のある茶人を研究。後に幕府の茶道指南役の立場となり、さらには片桐石州公(石州流)の門に入って道を極め、石州流を基本にしながら他の流派の良いところを独自にあんばいして、鎮信流を興したのでした。「茶道は文武両道のうちの風流なり、さるによって柔弱を嫌い、強く美しきをよしとす。心の修業はこの外にあらじ、昨日の非を知り今日は悟るべきなり」と説いた鎮信公。精神的に強くなければならない武人が、平常心を保ち、強く美しく生きる心を茶道によって養おうとしたようです。




 今回、長崎市諏訪神社近くにある鎮信流のお稽古場を見学させていただきました。「おいしいお茶をお客さまにさしあげる。ただそれだけのために一生懸命お稽古しているんですよ」とおっしゃる先生の言葉に、茶道の奥深さが感じられました。流れるように進むお手前の中で、いかにも武家茶だな感じられたのが、おじぎの仕方です。正座した膝の横に、軽く握った手を付いて頭を下げるのです。まさに時代劇で見た武士のおじぎです!その他の立ち居振る舞いも背筋がピンと伸びて清々しく、強さと美しさが感じられました。武家茶にふさわしく質実剛健なものが好まれるという鎮信流。お茶碗も、華やかな絵柄のものはあまり好まれずご当地平戸をルーツに持つといわれる三川内焼や唐津焼、萩焼などがよく使用されるそうです。




 「茶を生業にしてはいけない、あくまでもたしなみである」とする鎮信流。長い時を超えて脈々と受け継がれてきたこの武家茶道は、西日本各地に支部があり、長崎市内でも数カ所のお稽古場があります。興味のある方は、鎮信流のホームページhttp://www.chinshinryu.or.jp/へアクセスしてみませんか?





◎参考にした書籍/家庭画報(2000年1月号:世界文化社)、大日本百科事典12巻(小学館)

検索