第212号【今年のグラバー家のニュース】

 今月初め長崎の地元の新聞に、長崎県西彼杵郡高島町にあるトーマス・グラバー(1838―1911)の別邸(洋式邸宅)の跡地から、レンガを敷き詰めた通路と思われる遺構などが発見されたという記事が掲載されました。




 イギリス人貿易商のグラバーは、安政6年(1859)開港して間もない長崎にやってきて貿易商を営み、日本初の蒸気機関車を走らせたり、ソロバン・ドッグ(修船場)を建設するなど、さまざな事業を通して日本の近代化に大きな功績を残した人物です。


 彼の住まいは、長崎市南山手のグラバー園内に残る「グラバー邸」がよく知られていますが、グラバーは、幕末、長崎港の沖合いに浮かぶ高島で炭鉱も開発しており、明治初年にその地(現在陸続きになっている小島)に別邸も建設して居住しました。




 目の前には海が広がり水平線に沈む美しい夕日を楽しめたグラバーの別邸は、ずいぶん前に取り壊され、現在は、「グラバー別邸跡」として、訪れた人が憩えるあづまやがあるだけです。この高島町の跡地では、これまで発掘作業が行われたものの、ほとんど何も出なかったと聞いていました。


 しかし、今年の発掘調査で、レンガを敷き詰めた通路のようなものや、建物の礎石、庭石などが出土。レンガは、当時長崎で作られた「コンニャクレンガ」(形がコンニャクに似ているためそう呼ばれた)が使用されていたそうです。今後の発掘調査の展開が気になるところです。


 グラバーに関する今年の出来事をもうひとつ。6月、長崎市の坂本国際墓地にある「グラバー家の墓地」が長崎市文化財に指定されました。グラバー親子の残した業績は、幕末維新史、日本の近代産業史を知る上でたいへん貴重だということから、その墓地についても文化財と判断されたのだそうです。




 晩年を東京で過ごしたグラバーが亡くなった翌年(1912年)に設けられたこの墓には彼の遺骨が埋葬されています。墓石には「THOMAS BLAKE GLOVER」と、グラバーより先に亡くなった妻「TSURU GLOVER」の名が刻まれていました。




 隣には、グラバーの息子の倉場富三郎(1870―1945)とその妻ワカが埋葬されている「倉場家之墓」があります。倉場富三郎は、イギリス留学の後、長崎に帰り、父グラバーが亡くなったあとに南山手のグラバー邸に住みました。トロール漁業や遠洋捕鯨など、日本の水産業に大きく貢献。また外国人と日本人の親ぼくを深めるための「内外クラブ」を出島につくったり、魚類図鑑(グラバー図譜)を完成させるなどしています。




 その富三郎が亡くなって半世紀も過ぎてからの文化財指定で、何だか遅いような気もするのですが、今もなお、長崎の地に新たな足跡を残し続けるグラバー親子は、やはり長崎にとってたいへん重要な人物であることを、あらためて気付かされます。残された資料も充分でなく、二人の全体像をつかむのは至難の技ですが、謎の部分も含めて彼らを見直してみるのもいいかもしれません。

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