第208号【秋の味覚 サツマイモと平戸】

 すっかり秋めいてきました。収穫の季節に身体も素直に反応して食欲も旺盛になってくる頃。旬をたーんと味わってこの季節を謳歌しましょう!旬といえばサツマイモもそろそろ収穫の時期。本来の甘さをいかした蒸かしイモや大学イモ、スウィートポテトなど、おかずよりおやつ系のメニューがすぐに頭に浮かぶのは、サツマイモの個性のひとつかもしれません。




 甘藷ことサツマイモはいろいろな品種が各地で作られ現代の日本人には親しみ深い食材ですが、原産地は熱帯(中央)アメリカで、15世紀終わり頃コロンブスがトウモロコシなどといっしょにヨーロッパに伝え、それがきっかけでアフリカや東南アジアなど世界中に広がったといわれています。




 日本へは中国から琉球(現在の沖縄県)を経て、薩摩(鹿児島県)へと伝わり、そこから江戸中期の蘭学者、青木昆陽(あおきこんよう)がこの作物に関する書を著し全国へ広めたというのが定説のようです。伝来のルートからそう呼ばれるようになったサツマ(薩摩)イモは、やはりそのルートに由来して「唐イモ」とも呼ぶ地域もあり、長崎では「琉球イモ」とか、「南蛮渡りの藷」を意味する「蕃藷」とも呼ばれていたようです。このサツマイモの伝来について、ウィリアム・アダムス(三浦按針)のエピソードもあることをご存知ですか?




 ウィリアム・アダムスは歴史の教科書でもご存知のように、1600年、オランダ船で豊後(大分県)に漂着した後、家康に外交の顧問として召し抱えられた人物です。1605年頃には、平戸へ来てオランダとイギリスとの通商に活躍しました。




 「長崎洋学史」には、1615年に、ウィリアム・アダムスが初めて「蕃藷」を琉球から平戸へもたらしたことが記されているそうです。それは、彼がインドシナへ渡航中に船が破損したため琉球に立ち寄った際に、購入し持ち帰ったものだとか。当時の平戸英国商館長の日誌には、日本でまだ栽培されていない琉球の「蕃藷」を植え付けた、という内容の記載が残っているそうです。




 歴史をひもとけばまだまだいろいろな話が出てきそうなサツマイモ。江戸時代には、荒れ地でもたくましく育ち飢餓を救い、戦後には食料不足のピンチを救ったというくらい生きる活力の源がいっぱいです。エネルギーの素となるでんぷんや糖分が主成分で、美肌づくりに欠かせないビタミンCも1本(200グラム)でほぼ1日分の必要量を摂取できます。実を輪切りにすると白い液がじんわり出てきますが、これはヤラピンという成分で便秘予防に効果があります。また、イモ類の中ではカルシウムが多く含まれているほうなので、カルシウム不足が気になる方にもうれしい食材です。煮物や天ぷらサラダなど、さっそく今夜の一品にいかがですか?



◎ 参考にした本/ながさきことはじめ(長崎文献社)、からだによく効く食べもの事典(池田書店)

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