第195号【長崎ラムネ物語展(長崎市歴史民俗資料館)】
りんご飴、わた菓子、お面に風船…夏祭りの出店に並べられたおもちゃやお菓子の中で必ず見かける飲み物といえば、「ラムネ」ですよね。ビー玉入りの個性的なスタイルと、甘くてちょっぴり苦味のある炭酸の味わいは、子供の頃の夏の思い出とも重なって懐かしい気分になります。そんなラムネと長崎との深い関わりについて紹介した「長崎ラムネ物語展」が、長崎市歴史民俗資料館(長崎市上銭座町)で今、開催されています(~7月31日迄)。
「日本清涼飲料史」によると、ラムネと日本の出会いは、嘉永6年(1853)ペリーが浦賀に来航した際、船に積んでいたラムネを幕府の役人に飲ませたのが最初だとされ、それが定説になっているようです。このペリーより前か後かは定かではありませんが、実は長崎・出島にも江戸時代の後期にはラムネが輸入されています。長崎市内の発掘調査で出てきたラムネ瓶により、出島だけでなく、新地荷蔵や町家などでも飲まれていたことが確認されているそうです。
発掘されたラムネの瓶は、「キュウリ瓶」と呼ばれるタイプで、文字どおりキュウリのようなユニークな形をしています。この頃の口栓はコルクだったので、それを湿らせておくために横に置かれ、飲む時に専用の台に置かれていました。ラムネは当初、「オランダ水」と呼ばれていましたが、のちにコルクの栓を抜くとき「ポン」と勢いのいい音をたてていたことから「ポン水」と呼ばれるようになります。そして現在のラムネという名称がおおやけに長崎で使われるようになったのは、明治33年(1900)頃からで、「レモネード(Lemonade)」の名称で輸入されていたものが、訛ってラムネとなったといわれています。
さて、「長崎ラムネ物語展」では、日本でもっとも早い時期にラムネ製造を行ったとされる長崎の2つの製造元が紹介されています。製造者の名は藤瀬半兵衛氏、そして古田勝次氏という人物です。藤瀬氏は慶応元年(1865)、長崎で製造をはじめたのちに東京に移転。一方、古田氏は藤瀬氏より少し後に開業し昭和46年まで製造を続けていました。古田氏はラムネのトレードマークとして握手をしている図柄、その名も「お手引きラムネ」というマークを使っています。世界の人は仲良く手を握らなければという考えから生まれた図案だそうです。世界に目を向けた明治時代の商人の心意気が伝わるようです。「お手引きラムネ」のマークのついたラムネは現在も販売されていて、長崎市内の食事処や商店など置いているところもあるようです。(諏訪神社の月見茶屋にもあります)。
又、外国人では、長崎にウォーカー商会を設立した海運・貿易商のウォーカー兄弟が、「バンザイ・エアレイテツド・ウオーター・ファクトリー」という会社を立ち上げ、1904年にラムネ製造を開始しています。長崎市小曽根町には、その時の製造所だったレンガ造りの建物が現在も残されています。
「長崎ラムネ物語展」ではそんな先駆者たちが製造した時代の珍しいラムネ瓶が数タイプ展示されています。ぜひ、間近で御覧下さい。余談ですが、長崎市歴史民俗資料館は、小規模ながらもユニークな企画展を催すことで知られるミュージアムです。知的好奇心旺盛な方は今後の企画展も要チェックです。
◎参考にした本や資料/「日本清涼飲料史」(東京清涼飲料協会編)、「歴史民俗資料館だよNo.47」(長崎市歴史民俗資料館)